みなさん、ヤマト2202というと、どちらのイメージでしょうか。
さらばのリメイク? 2199の続編?
どちらかと言うと、前者なのかもしれませんね。私は後者推しですが。
今はとりあえず「さらば」リメイクの可能性を、2202という先入観を取り払って考えてみてください。
すると、一つのことが分かります。
──「さらば」って、そのままリメイクできねぇ……。
ということです。
何故2202を批判する際に「旧作をそのままやれば良かったんだよ!」という意見が少ないのか。その理由もここから分かります。
「さらば」というのは、あの時代にあの内容をやってこそヒットしたと言われていますよね。
「さらば」はヤマトという作品をひっくり返すような衝撃作です。
生きることをテーマの一つにした作品の続編でありながら、登場人物は最後に死を選ぶのですから。
しかし、そのことに異論を挟む、ツッコミを入れる余地はありません。
それは「さらば」が2時間の映画として完結しており、しかもそれがシリーズ最終作だからです。
「これはヤマトじゃない、次はこういう展開にしろよ」と口を挟む間も無く、ヤマトの方から去っていくのです。
だからあの作品はヒットしたのです。
ヒットというのは、必ずしも皆が拍手喝采するという意味ではありません。
物語の新展開に感動する人も、納得のいかない人も、皆、作品に突き放されます。
「さようなら」と。
このように「さらば」を捉え直した場合、ヤマト2202ってどうなんでしょうか。
テレビシリーズ形式で、全26話。
しかも、4話ずつ。公開間隔は4ヶ月。
これって、ちょっと不味くないですか?
ツッコミどころ、全体の中で我慢しないといけない展開。
「さらば」では2時間のうちに収まっていたものが、1年以上もの間、考察・批評の対象となる。
いくら「ヤマト2はテレビシリーズだ」といっても、2202が下敷きにしているのはあくまで「さらば」です。
「さらば」を極限まで膨らませて、26話にする。
そうすると、伏線が章を跨ぐこともある。
ところが、伏線回収と共に意味を持ってくる序盤の展開も、公開間隔の長さから批判の対象となってきます。
「さらば」を26話に作り直すことの是非に、立ち返ってみることが必要ではないでしょうか?
私は、2202を2時間の映画として公開するべきだったと思います。
作品としてはそれがベストだと。
しかし興行から考えるとそれは得策ではないかもしれません。
「星巡る方舟」が公開館数に比してイマイチな成績で終わっていることから、企画として通らない可能性もあります。
では、2時間×2の前後編ならどうでしょうか。
2時間×3の3部作ならどうでしょうか。
いずれにしても、4ヶ月の公開間隔で、跨る伏線を円満に機能させることは難しいのです。
だからこそ、作品のことを思えば、もっと短期間の内に完結する方式を取って欲しかったと、私は今こそ思います。