こんばんは。ymtetcです。
今日は、上記のテーマに基づいて、これまでの話の繰り返しをしてみたいと思います。
厳密に言えば『2202』を支持している『2199』ファンの方も大勢いますから、乱暴なタイトルであることは承知しています。
とはいえ、『2199』のファンの方に『2202』が拒絶されるという場面は何度か見ましたし、『2199』に対して不満のあったファンの方が『2202』を絶賛する場面も見てきました。
よって、その象徴的な現象を取り上げてこのタイトルとしたわけです。
さて、『2199』のファンの方は、『2202』のどこに不満なのでしょうか。
ひとつここで挙げておきたいのは「リアリティ」です。
『2199』では天文学の知識が投入され、自衛隊監修のもとミリタリー設定も整理されるなど、設定が拡充されていました。
対して『2202』ではそれらの設定は軽視されています。ミリタリー設定は旧作ヤマトに近いものとなり、天文学の知識も抜けているため航海図も曖昧です。
『2202』でリアリティが欠けている部分はそれだけではありませんが、とりあえずその二つを挙げておきます。
それは何故か。
私は、『2202』が『さらば』のリメイクだからだと考えます。
第1作のヤマトが支持されたのは、あの頃では格段に高いレベルの「リアリティ」を持っていたからだと私は考えるのです。
一方、『さらば』がたくさんの支持を得る上で、リアリティはそれほど重要ではありません。テレサはファンタジックだとして当時から不満が出ていましたし、「クェーサー」の誤用は有名です。
では、何故「さらば」は許されて『2202』は許されないのでしょうか。
それの理由は、構成にあると考えます。
『2202』は、26話構成です。
しかし『さらば』は、劇場映画なのです。
つまり『さらば』は、リアリティに欠けていたとしても「2時間で終わり」の映画なのであり、ある種勢いで乗り切ることができます。
しかし『2202』はそうはいきません。各章毎にファンの目に晒され、設定の粗を探されてしまう。
言い方は悪いですが、そこでボロが出てしまうのです。
さて、旧作でいうと『ヤマト2』が、26話構成でした。
この『ヤマト2』、ご意見は色々あろうかと思いますが、基本的には『さらば』のリメイクと言っていいでしょう。
『さらば』を26話のテレビシリーズへ再構成するにあたり、実は『ヤマト2』では、リアリティ路線への転換が図られているのです。
ヤマト廃艦をヤマト改造へと変更し、アンドロメダ量産の示唆、詳細な航路図、土星決戦における作戦描写など、です。
これらは果たしてリアルと言えるかは分かりませんが、リアリティ向上の試みと言えるでしょう。
『2202』が下敷きにしているのはあくまで『さらば』ですから、『2202』からはどこか劇場映画のように、勢いで乗り切ってしまおうという発想が見て取れます。
しかしそれは結果的に、リアル路線を必要とするテレビシリーズの枠組みに不適合となってしまったのではないでしょうか。
思えばテレビシリーズの『ヤマトⅢ』でも、一応のリアル路線が採られています。
設定にリアリティがないと「間が持たない」と言えるかもしれません。
リメイク版に思いを馳せれば『星巡る方舟』においても、設定のリアルさなどはあまり物語に必要でなかった要素だったような気がします。
単発劇場映画か? テレビシリーズか?
『2202』は、自らが選んだ枠組みと自らの作風が一致していないと言えるでしょう。