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偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

ヤマト2202と銀河:⑤銀河の立ち位置

〇銀河の立ち位置:「官製人類最後の希望」

 

  • はじめに

 いよいよ銀河について議論を進めていく段階に入り、ここで新しい概念を取り入れてみることにしました。それは「官製人類最後の希望」という概念です。前回の記事までで扱った「人類最後の希望」という概念は「官製人類最後の希望」よりも広い概念であり、「官製人類最後の希望」は、「人類最後の希望」の一種でもあります。

 その意味は、官製という文字通り「政府が仕立てた人類最後の希望」ということなのですが、旧作パート1~「さらば」、2199~2202をこの概念から捉え直してみると、銀河の特殊な立ち位置が見えてくるのです。

  • 旧作パート1、2199における「官製人類最後の希望」

 これまでの記事で議論してきたように、イスカンダル編とも表現できるこの二作品においては、まず地球艦隊の壊滅を前提として宇宙戦艦ヤマトは「人類最後の希望」と位置づけられます。そしてこの宇宙戦艦ヤマトを「人類最後の希望」として完成させたのは、まさしく政府です。この段階では地球統一政府はありませんが、日本(極東)はいわゆるヤマト計画を推進する存在であり、冒頭の地球艦隊が日本(極東)の艦隊だったことも踏まえると、日本(極東管区)が地球におけるイニシアチブをとっていたことは明白でしょう。よって、パート1と2199における宇宙戦艦ヤマトは「官製人類最後の希望」であると位置づけることが出来ます。

  • 「さらば」における「官製人類最後の希望」

 この「さらば」では、前提として、地球政府の慢心があります。そもそも白色彗星はアンドロメダが撃滅するものであるという前提を持って、地球政府は行動しています。つまり「官製人類最後の希望」なんてものは、厳密に言えば存在していません。戦力、あるいは今後の「人類の希望」として地球艦隊は置かれています。その地球艦隊が、予想に反して全滅したからこそ、政府から距離を置いていた宇宙戦艦ヤマトが「人類最後の希望」として浮上してくるのです。もちろん、この時のヤマトは「官製」ではありませんよね。

 このように、「さらば」において「官製人類最後の希望」は存在していません。

  • おわりに:2202と銀河

 2202の地球艦隊は、「さらば」と似て非なる成り立ちを有しています。それは、単に時間断層があるからということだけではありません。

 この点については記事を改めて議論していきたいと思っていますのでそれは置いておきますが、2202でも、地球艦隊は見事に敗北を喫しました。ではこれによって、ヤマトは「人類最後の希望」へと浮上したか? そうではありません。

 何故ならば、「G計画」を背負った波動実験艦《銀河》が、「人類生存の要」、すなわち「人類最後の希望」として控えているからです。第五章で地球艦隊が敗北した後も、地球政府に宇宙戦艦ヤマトを頼ろうなどという「さらば」の時のような姿勢はなく、現状は、銀河こそが「人類最後の希望」になっています。これはまさしく「官製人類最後の希望」の姿です。先述したように、ガトランティス編に「官製人類最後の希望」が登場するというのは「さらば」では無かったこと。つまり銀河は、「官製人類最後の希望」であるという一点において「さらば」にはあり得なかった存在であり、「官製人類最後の希望」であるということは、銀河が旧作パート1における宇宙戦艦ヤマトと同じポジションに収まっているということを意味します。ちなみに、「人類最後の希望」という広い概念の話に戻せば、コスモリバースシステムを搭載した銀河は、ハイドロコスモジェン砲を搭載したヤマトⅢにおける宇宙戦艦ヤマトと同じ性質を持った「人類最後の希望」ということもできます。いずれにせよ、これはまさに2202が「さらば」とは異質な存在を本編に取り入れたということであり、非常に興味深いことだと言えるでしょう。

 では何故、地球政府は「官製人類最後の希望」を用意するに至ったのか。この点に関しては、次回の記事で述べていくこととします。

次回:ヤマト2202と銀河:⑥銀河の伏線 - ymtetcのブログ