こんにちは。ymtetcです。
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』は、「監督:羽原信義」「副監督:小林誠」という布陣を敷いています。
両者は『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』(監督:西﨑義展)及び『宇宙戦艦ヤマト 復活篇 ディレクターズカット』(監督代行:小林誠)に多大な貢献をしたスタッフです。
彼らが中心スタッフとなっているせいか、ヤマト2202はしばしば復活篇との繋がり、類似性を指摘されています。
第2話に登場した輸送船《きさらぎ》は、復活篇に登場した貨物船《ゆき》のデザインを使用していますし、アンドロメダ級の量産も《アンドロメダA12》を彷彿とさせます。また、第五章以降に登場する波動実験艦《銀河》は、小林誠氏がデザインした波動実験艦《ムサシ》を玉盛順一郎氏(メカニカルデザイン)のデザインに合わせ込んだもの*1です。
ここから見れば、2202における復活篇要素は全て副監督に由来するものであるようにも思えます。しかしながら、復活篇のスタッフ一覧を見ると、別の視点も明らかになってきます。
〇「メカニック演出:羽原信義」「メカニックデザイン:小林誠」
復活篇のスタッフ一覧で、両者はこのように配置されています。
ここから見えるのは、現2202監督の羽原信義氏は、復活篇ではメカニックを動かす立場にあったということです。
2202の艦隊戦(≒メカニック演出)はしばしば批判にさらされています。
そして、2202という作品そのものにしばしば向けられる「復活篇ぽい」という指摘。
この「復活篇ぽさ」は、「メカニック演出」「メカニックデザイン」という、復活篇から直接受け継いだ部分から来ているのではないでしょうか。
〇2202は復活篇に繋がるか?
「復活篇ぽさ」によって、批判的な文脈の中で「2202は復活篇に繋げる気だ」という指摘もあります。これに対して、副監督は
どう考えても復活篇に繋がらないんだけど?
(2018年8月27日)
と、非常に強い口調で反論しています。
この点を踏まえると、「復活篇と2202の連続性はメカニック関連に限られていて(担当スタッフの作風によるもの)、作品トータルとしての連続性は存在しないのではないか」という仮説が成り立ちますね。
あくまで仮説でして、未完結の作品ですから「2202でヤマトを沈め、次回作で復活させる」という展開の可能性を排除することはできません。しかしながら、副監督の主観において「復活篇との繋がり」がないというのは確かなようです。
〇ついでに、二人の関係性を探る
さて、今回は「メカニック方面において復活篇と2202は繋がっている」という主旨の記事ではありますが、先ほど添付した記事のコメント欄で少し話題になった「2202における羽原監督の立ち位置と小林誠の立ち位置」についてもう少し考えてみます。
副監督は2202における自身の仕事を「メカ監督」とも表現しています*4。
一方、羽原監督は復活篇ディレクターズカットにおいて「アニメーションディレクター」を担当していました。
そこから、2202の役職名表現の案としてもう一つ、仮説を出すことができます。
それが、
という構図です。
「羽原監督は復活篇でメカ演出をやっていたんだ」というのを今回の記事で述べていますから、その部分とは少しズレてきます。しかし、2202の大まかな仕事内容として、この仮説のような区分もあり得るかもしれません。
また、傾向としては羽原監督がアニメーション中心、小林副監督がメカ中心でやっていたとしても、「羽原監督もメカを見るし、小林副監督もアニメーションを見るから、厳密に区分できない」という理由で、「監督」「副監督」という表現にとどめている、という可能性も推測できますね。
以上、最後に少し余談を付け加えました。
書いてみて漠然と思ったのは、もう少しきちんとした形で復活篇と2202の「連続性」「非連続性」を考えてみたいな、ということです。
私の個人的な仮説として「そもそも、さらばと復活篇に連続性があるのではないか」というものもあります。この辺りに踏み込むには、まだまだ勉強が必要ですけどねー。