こんにちは。ymtetcです。
昨日の夜、久しぶりに2202の第17話‐第18話を観ました。
この辺り、キャラ作画が綺麗でいいですね。
さて、第18話といえば、物議を醸したラストシーンです。
私は公開当時から「そこ」に至る過程が不満だったので、昨日「こうやったらよかったのに」と思ったところを書いてみます。
そもそも、加藤の行為の「前振り」については、第17話で十分です。
ということで、第18話はこんな構成にします。
- 銀河クルーから見た土星沖会戦
- 土星沖会戦
- 波動砲艦隊の敗北
- ヤマトのワープアウト
- トランジット波動砲発射失敗
- 驚くキーマン
- 反波動格子を手にうずくまる加藤
- 桂木透子の笑い声
- 揺れる艦内で焦るキーマン「お前、何をした!」
- 桂木透子の語り「すべてを破壊する愛」
- 吸い込まれてゆくヤマト
- 桂木透子「堕ちてゆく……」
そう、トランジット波動砲の失敗まで、加藤と桂木を一切登場させないのです。
それで、余った時間を土星沖会戦の戦闘シーンに使います(熱いCG班酷使)。
これによって、どういう効果が生まれるかというと
- 「衝撃の結末」らしいサプライズ演出
- 土星沖会戦の盛り上がり(ブツ切れることなくずーっと戦闘してるので)
が一番なのですが、個人的に推していきたい効果が
- ラストシーンっぽいのに、まだ放送時間があるというザワザワ感(テレビ版のみ)
です。
よくテレビドラマなんかを見ていると、こういうことあるじゃないですか。「最終回で〇〇がやられたんだけど、まだ放送時間あるからもうひと盛り上がりあるぞ」みたいな。これをやって欲しかったなと思うんです。
必殺の一撃を準備して、めっちゃ盛り上がってるぞというところで時計を見たら、まだ放送時間があると。そして嫌な予感が的中して、失敗。
「あっ!加藤!」と、私のようなぼんやりした観客はそこで思い出すわけですよ。
こういう演出、第18話でやって欲しかったですね。
しかし、何故2202が「過程」を描いたかといいますと、意図があるみたいです。
それは「この薬があれば、他の子供も助かる」という部分。
ここが結構重要みたいですね。
ここは第六章に注目していきたいポイントです。
確かに、サナトリウムで共に過ごしてきた他の子供達にも、愛着はあると思いますが……。佐渡に怪しまれてまで、それを確かめようとする必要があったのかな?と。
親ならではの視点なのでしょうかねー。