ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

2202オープニングの違和感は、本編のせい

こんばんは。ymtetcです。

2202のオープニングといえば、ささきいさお宇宙戦艦ヤマト2202』です*1。オープニングテーマとして使用されているのはその二番。

もちろん名曲ですよね。しかし、宇宙戦艦ヤマト2202の主題歌として考えると、少し物足りない感じがしませんか?

私はします。

〇その理由を考えてみる

まずひとつに

 イスカンダルへ行っちゃってる

ことも、もちろんあると思います。一番の歌詞ほどではありませんが、二番の歌詞でもしっかりと、この曲は「イスカンダルへ」行っちゃっています。

しかし、それだけではありません。

最大の理由は

 本編とズレている

ことにあります。要は、歌が悪いのではなく本編が悪いのです。

では、本編とズレている要因を考えてみましょう。

ヒントは、以前私が目にしたとあるネットの書き込みにあります。

「2202の主題歌って、ヤマトというより地球防衛軍艦隊の奮闘に当てはまるよね」

こんな主旨の書き込みです。

これこそ、2202本編と主題歌のズレを象徴していると言えます。

〇『宇宙戦艦ヤマト』が歌っているもの

宇宙戦艦ヤマト』という歌は、何を歌っている曲なのでしょうか?

そもそもこれは1974年の「パート1」の主題歌です。よってこの曲は、

 「人類最後の希望」であるヤマト

を歌っている曲です。

そして二番になると、この曲はよりその側面が強くなります。一番では「ヤマトの旅立つ様子」が歌われていますが、二番では「人類最後の希望である、ヤマトそのもの」が歌われているからです。

〇2202のヤマトと地球防衛軍・銀河

2202に目を向けると、ヤマトは未だに「人類最後の希望」ではありません

何故ならば、地球防衛艦隊が健在だからです。

ヤマトが「人類最後の希望」となるには二つのパターン(あるいは条件)があります。

一つは、地球艦隊が敗北すること。

もう一つは、ヤマトが他にはない特別な力を持つことです。

前者の代表格は「さらば」であり、後者の代表格は「ヤマトⅢ」。両方を兼ね備えたのが「パート1」です*2

2202のヤマトは、第五章ラストで後者(「ヤマトⅢ」)のパターンから「人類最後の希望」になりかけました。ハイドロコスモジェン砲≒トランジット波動砲ですね。

しかし、加藤の行為により失敗してしまいます。

しかもトランジット波動砲は、対白色彗星に特化したものではないただの超波動砲ですから、特効薬ではありません。後者の条件を満たしているかどうかは未だグレー

地球防衛軍に視線を転じると、波動砲艦隊は未だ全滅していないどころか、時間断層から次々と湧いて出てきています。前者の条件は未だ満たしていません

それどころか、対白色彗星戦あるいは「人類生存」に特化した力を持つ《銀河》を、地球防衛軍は持っています。条件の面から言うなら、銀河こそが現在「人類最後の希望」なのです

「銀河が主役の座を奪う」はデマ・勘違いの類だとよく言われますが、第五章終了時点においては実際に、一時的とはいえ主役の座が銀河に移っています。

〇今後はどうなる

どのようにしてヤマトが「主役」に返り咲くか? というのが、今後の焦点になるでしょう。

2202が「さらばのリメイク」を謳うなら、前者のパターンを採用するのが適当です。

何故ならば、それこそが「さらば」最大のカタルシスだったから。*3

しかし、超兵器の応酬と化した2202ですから、後者のパターンを採用する可能性も少なくありません。

その点、第五章で敢えてトランジット波動砲を失敗させたことは興味深いでしょう。

それは後者のパターンを認識しつつ、それを裏切ったことになるからです。後者のパターンは採用しないというメッセージが込められている、とも解釈出来ます。

いずれのパターンにせよ、ヤマトが「人類最後の希望」に転じるまで主題歌と本編の間の溝が埋まることはなく、オープニングは空虚に響くしかありません。

 

さて、この内容をくどくどシリーズとして書いたのが、今日の記事にタグ付けした『「ヤマト2202と銀河」シリーズ』『メモ「人類最後の希望」論』です。ぜひご覧ください。

過去記事整理みたいになりましたが、言いたいことを簡潔にまとめる機会を作れたのは良かったと思います。

当ブログもおかげさまで、200記事を突破しました。これを機に、「副監督関連記事整理」のような「過去記事整理」にもチャレンジしてみたいですね。

 

追記:テレビのオープニングは市音のインスト版らしいですね。映像もそのままかな。

*1:宇宙戦艦ヤマト』を再録音したもの

*2:さらばにも後者の要素はあります。過去記事参照

*3:ロートルの復活篇」という側面が「さらば」にはあります。