こんばんは。ymtetcです。
今日のお話は2202に込められたメッセージ、ということで、少し政治的な話になるかもしれません。ただし、私の政治的なスタンスを表明する記事ではなく、あくまで2202に込められたメッセージを推察するという記事ですので、その点は安心して読んで頂ければと思います。
目次
Nzawa様のご指摘
昨日の記事のコメント欄にて、Nzawa様からこんなご指摘をいただきました。
僕には地球政府(主に芹沢)が、第二次大戦時の日本政府上層部のメタファーに思えます。第5章の「官民一丸となって」、第6章の「戦って死ね」、「徹底抗戦だ!時間断層のある限り……」などのセリフが大戦末期の無謀な命令を出し始めた当時の司令部を連想させます(大戦末期のことは教科書や戦争映画程度の知識しかありませんが)。
2202第六章の地球政府が、戦中日本のメタファーであるというのです。
序盤の地球政府
しかしここで思い出していただきたいことがあります。2202序盤の地球政府は、戦後日本の姿と重ねられていたということです。
地球とガミラスの同盟を日米同盟に見立て、禁じられた波動砲を原子力発電に見立てた。
福井:ヤマトはこれまでも時代と対話をしながら作られてきた作品です。初代のヤマトは、第二次世界大戦で国が滅びるかもしれないという経験をしてきたクリエイター陣が、当時の気分を思い出しながら作ったからこそ戦争というものに対する切迫感が違う。一方で、現代に生きる我々も東日本大震災とそのあとの原発問題で国が滅びるかもしれないという経験をしました。人間というのはそういう国が滅びかねない経験をしても、過去の教訓を糧に改めるかというとそうではなくて、むしろ忘れることで対処してしまう……そんなところまで目にしてきたわけです。――「波動砲を使用してはいけない」というルールが『宇宙戦艦ヤマト2199』で登場したのも、核をどう考えるかという世相に合わせた部分ですよね。
とすれば、2202の地球政府には戦中日本と戦後日本、二つの姿が重ねられているということになります。
2202に込められた政治的メッセージ
公式に福井さんが強調している「戦後日本」。
一方でNzawa様のご指摘も、私としては的を得たものだと思います。
そして、これらは決して矛盾するものではありません。
すなわち、序盤、ガトランティスの真の脅威を認識するまでは「戦後日本」であった地球政府が、ガトランティスと決戦を迎える終盤にかけて「戦中日本」の姿へと転じていく。
そういう展開を2202は辿っていると考えられますよね。
現在の日本では、様々な問題において戦中日本との連続性を見出す一つの流れがあります。
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仮に2202が、このような時代背景を念頭においてとすれば、そこには、
「戦争に負け、国を滅ぼしかけたとはいえ、戦中日本も戦後日本も、根本的に何かが変わったわけじゃない(連続性がある)」
「”愛を持つ”人間が、国難にあたってとる道は同じ」
「戦後日本はいつだって、戦中日本に変貌し得るのだ」
というメッセージが込められているのではないでしょうか。
愛する“人”ならまだしも、愛する“国”や愛する“神様”、それぞれ異なる愛するものができたときに、争いが生じたりする。愛というものが、そもそも正しい概念なのかという。
小野大輔、福井晴敏と新旧「ヤマト」を比較 ポイントは“愛”? (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
私はこれまで、福井さんがしばしば「愛国心」を2202の文脈で持ち出していることに違和感を覚えていました。
もしかすると、今日取り上げた「戦後日本→戦中日本」というメタファーの変化という部分に、福井さんが「愛国心」を持ちだしていることの意味が現れているのかもしれません。