ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

何のためのイベントか:『2199』と福井ヤマトの違い

こんにちは。ymtetcです。

最近は『2199』を観ることが増えてきました。前回は第13話でしたが、今回は第14話を題材に、『2199』と福井ヤマトの違いを考えてみます。『2199』の頃はそれほど中身について考えていたわけではなく、それ以降は『2202』にお熱でしたから、新しい気づきもたくさんありますね。

〇『2199』第14話「魔女はささやく」

第14話は、ガミラスがヤマトに精神攻撃を仕掛けたことにより古代と雪の記憶が呼び起こされ、危機を乗り越えた二人が仲を深める回であったと思います。それと同時にユリーシャの物語・セレステラの物語など、『2199』の周辺部に位置する物語や設定も前進するとても『2199』らしい回でした。

しかしながら、福井ヤマトに慣れきった身には、一つ気になることがありました。すなわち、第26話までの物語を見渡した時に、この第14話は『2199』という作品にとって、どんなメッセージが込められているのかが明確にされていないのです。

『2199』という作品に何かテーマ性を見出すならば「相互理解」ですが、『2199』は福井ヤマトのような、テーマ性ありきの物語ではありません。ゆえに、第14話のような、作品のテーマ性とは少し距離を置いた回も当然存在するわけです。

〇何のためにイベントを盛り込むか

『2199』第14話は「ガミラスがヤマトに精神攻撃を仕掛ける」というイベントを軸に物語が進んでいきました。このイベントの目的は、古代と雪の過去を描き、二人の仲を深めることにあります*1

ですが、「二人の仲を深める」ことは、シリーズ内の他のストーリーには繋がるものの、シリーズ全体の大テーマのようなものには繋がってきません。というより、そもそも『2199』はシリーズ全体に、大きなテーマを設定していないのです。

このような点からいえば、『2199』第14話で描かれた「ガミラスがヤマトに精神攻撃を仕掛ける」というイベントは、「古代と雪の過去を描き、二人の仲を深める」という別のイベントに接続する、いわば”イベントのためのイベント”であったと言えます。

一方、シリーズ全体に大きなテーマを設定する福井ヤマトで多用されているのが、”ドラマのためのイベント”です。シリーズ全体のテーマ(『2202』なら「愛」、『2205』なら「新たなる旅立ち」)を描くためにイベントを配置し、キャラクターに葛藤させる。福井さんはそういった手法を多用しています。

 

さて、『2199』が”イベントのためのイベント”を多く配置し、福井ヤマトが”ドラマのためのイベント”を多く配置している、と対比すると、あたかも『2199』がダメで福井ヤマトがすごい、といった論調に見えてしまうかもしれません。しかし、この両者にはそれぞれメリットとデメリットがあります。

まず、『2199』に多い”イベントのためのイベント”は、キャラクターを個性豊かに動かすことに注力できるため、キャラクターの素朴な魅力を発揮させやすい、というメリットがあります。一方デメリットとしては、物語に現実社会への応用可能性が生まれにくい、という点が挙げられます。

一方、福井ヤマトに多い”ドラマのためのイベント”は、イベントを抽象化された「テーマ」のために配置するため、物語に現実社会への応用可能性が生まれやすい、というメリットがあります。一方、『2202』第7話のように、やや強引にキャラクターの葛藤を生じさせるイベントが配置され、ある種の”とってつけた感”が出やすくなる、という点がデメリットと言えます。

再び全26話に回帰する『3199』には、『2199』のように、少し物語のテンションを緩めるような「箸休め回」を求める声も少なくありません。”ドラマのためのイベント”を多く配置する福井さんのスタイルからすれば「箸休め回」は忌むべき存在かもしれませんが、メリットもあることを考えると、必要に応じて盛り込んでもいいかなぁ、と私は思います。

*1:なお、演出をみても分かるように、ホラー的・往年の特撮的演出を『ヤマト』へ盛り込むことにも重心が置かれています。