ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「リソースがないから科学考証を取り入れない」は逆効果かもしれない

こんばんは。ymtetcです。

2202では、2199の出渕総監督が離脱したことにより、出渕さんの人脈で集まっていたと思われる人が大勢離脱しました。

特に2199-2202間のギャップが顕著と言われる科学考証(天文学含む)関係のスタッフは総入れ替えとなり、2202では代わりに福井さんの人脈で小倉信也さんが参加しています。

とはいえ、小倉さんは2202の「科学考証を取り入れない」方針のもと、科学考証ではなくSF考証として、本編の事象・展開・画面に対する理屈の後付けを担当しています。

よって2199の科学考証との違いは、クオリティの違いではなく、与えられた仕事の違いであると言ったほうが適切かもしれません。

2202がそんな方針を採用した背景ははっきりとしていませんが、ひとまず「リソースの不足」が推測できると思います。リソースとは、人的リソースだけではなく時間的リソースも含みます。

出渕さんの離脱に伴って人的リソースを欠いただけではなく、2202は2199と比較して、どうしてもかけられる時間が短くなっています。納期がある中で、設定や考証を煮詰めることと、本編を完成させることを天秤にかけた時、後者を優先せざるを得ない現実は間違いなくあるでしょう。

しかし、科学考証を取り入れないということが、却って作業を難しくしているのではないでしょうか。

そもそも2202の方針は、「ヤマトのSFとはスペース・ファンタジーだ」という意見に則ったものであると思います。とすれば、サイエンスとファンタジーのどちらが難しいか?という問題です*1

 

私はファンタジーの方が難しいと思います。ファンタジーを作るには、自分で世界を作り上げなければならないからです。

つまり、ファンタジーを作るというのは決してサイエンスと無縁なのではありません。自分が作り上げる世界、ここでいうなら「2202の宇宙」に、独自のサイエンスを構築しなければならない。

これってすごく難しいと思うんです。

結果として、2202は満足に「2202の宇宙」を作り上げることができませんでした。そして、2202はサイエンスを「古代アケーリアス文明」という便利な用語に丸投げし、ビジュアル面を小林誠に丸投げした。それが批判されるのは当然です。

とすると、実は多くの場合2202の設定が批判されているのは、2199と方針を違えたからというよりは、むしろ違えたなりに2202独自の設定を構築できなかったから、なのではないでしょうか*2

 

2199と同等の仕事をするのが簡単であると言いたいわけではありません。しかしファンタジーに寄せて独自の宇宙を作るより、専門家の手を借りた方が遥かに効率が良いと私は思うのです。

*1:サイエンス・ファンタジーというジャンルも存在しますが。

*2:続編としてそもそも違えるのがおかしい、という話も尤もではありますが