こんばんは。何回これを言ったかは分かりませんが、何回でも書きます。
「飛ぶ理由」は「ヤマトの私物化」なのか。違います。
飛ぶ理由は単に、時々ヤマトの模型を使っているだけで、ヤマトではなく、小林誠の連載。
「飛ぶ理由」を「ヤマトの私物化」として批判するのは、おかしいと思います。
何故なら、私物化も何もあれは小林誠の連載だからです。いわば連載そのものは彼の私物なんですよ。
私たちが批判すべきは、「『飛ぶ理由』がヤマトに入り込んでくる」状況そのものなのです。
だから、2202に「飛ぶ理由」の要素が入り込んでくれば、反発するし、批判する。
これも以前言った気がしましたが、私達は2199の時、「飛ぶ理由」のゼルグートに怒ったでしょうか? いえ、多くの人は怒っていなかったと記憶しています。
でも、あれにそっくりなゼルグートが2202に出てきたら怒った。
そういうことです。
「ヤマト2202は『飛ぶ理由』のアニメ化だ」という、インパクト重視で内実を伴わない批判もありますが、この批判は、「ヤマト2202」と「飛ぶ理由」がそもそも別個の存在である(べき)ということを逆証しています。
私の理想を言えば、ヤマト2202に「飛ぶ理由」の要素が入ってさえこなければ、それでよかったのです。「飛ぶ理由」の要素が「ヤマト2202」に入り込んでこなければ、特段に害はないからです。
ちなみに、アンドロメダDXの件*1*2は、ヤマトの私物化というよりはヤマトプラモの私物化。
ヤマトプラモの私物化については、それはそれで批判されるべきことではありますが、あくまで、2202本編に「飛ぶ理由」の要素が入り込んでくる、という問題とは別になります。
繰り返しになりますが、「飛ぶ理由」そのものを批判することと、彼が2202本編に「飛ぶ理由」を持ち込んできている状況を批判することは、全く違います。
「飛ぶ理由」を批判して2202を批判している気になっている人もいますが、それでは、
本来批判したかったもの/批判すべきだったもの、を批判できていない
ことになってしまうのです。
「飛ぶ理由」は終わった存在なので今更どうこう言うまでもないですが、未だに批判が止まないので、また書いてみました。