ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

小林メカに「自己照明」が頻出する背景?

こんにちは。木曜日のymtetcです。

今日は久しぶりに小林誠さんの話です。

『2202』のメカがどこか「『復活篇』ぽい」とすれば、その要因はメカに施された「自己照明」(もちろん、小林さんの専売特許ではありませんが)にあるのかもしれません。

メカニカルデザイン」の玉盛順一郎さんがリファインした《アンドロメダ》も、”メカ監督”小林誠さんのマーキング設定&「自己照明」にかかればこの通り。

アンドロメダ 自己照明 - Google 検索

途端に、『2199』とはうってかわった「小林メカ」風味に早変わりします。手掛けているスタッフの違いと考えれば当然でしょう。

この「自己照明」の狙いについて、小林さんはいくつかツイートを残しています。

ひとつは、海上自衛隊の「人工的な『明かり』がない外洋は、一面が漆黒の世界です」というツイートに対するメンション「だから自己照明がいるのよ」です。

これは「自己照明」にはリアリティを高める効果がある、という主張です。宇宙も外洋と同様「漆黒の世界」だと考えれば、自ずと「自己照明」が必要になる、というわけです。

もうひとつ、『復活篇』の《武蔵》と『2202』の《銀河》を対比して「自己照明でなく舷窓による大きさ表現」と書いたツイートもあります。これは、「自己照明」が艦艇の大きさを表現する効果を持っている、という主張です。そして、《銀河》の舷窓の光は「自己照明」と同じ"大きさを表現する"効果を狙ったものだということも分かります。

また、これはツイートされていませんが、作り手にとっての「自己照明」の狙いは、宇宙空間にCGの艦艇を浮かべた際の違和感を軽減することにもあるとも考えます。

宇宙空間を描く際には、『2199』のように背景を鮮やかにする工夫をしない限りは、単調な漆黒の背景が続きます。簡単な思考実験ですが、そこにCGを重ねると、まず背景から浮いてしまいます。観客から見れば「おもちゃっぽく」みえることでしょう。

そんな中で、敢えて船体を暗く処理し、全体のシルエットを浮き上がらせるようにポイントポイントに「自己照明」を施してあげると、背景にうまく溶け込みます。

この効果については、『2202』のアンドロメダよりも『復活篇』のスーパーアンドロメダブルーノアをイメージしてくださった方がいいかもしれません。

ヤマト復活篇 スーパーアンドロメダ - Google 検索

また、小林さんが監督代行を務めた『ディレクターズカット』の追加シーンは、小林さんのお手製ということもあり、より「自己照明」を活かした画面作りがなされています。

ヤマト復活篇 アリゾナ - Google 検索

さて、このように『復活篇』にひとつの源流を持っていると言えそうな「自己照明」ですが、単に小林さんの趣味で頻出しているわけではなさそうです。

 

小林さんは『ハイパーウェポン2009』で「自己照明」について言及しています。

これら(注:ドレッドノート)が描かれた時期には、デザインや3Dに対して監督(注:西﨑義展)は信頼してくれていたようです。但し、逆に、より見栄えのする表現を求められて、四苦八苦していた頃だと思います。自己照明効果に辿り着くまでが大変でした。

ここから、あの自己照明は「四苦八苦」の末にたどり着いた表現だと分かります。

さらに想像を膨らませてみます。

「デザインや3Dに対して監督は信頼してくれていた」……というのは、外野から実態の見えにくい表現です。ですが、作品へのこだわりが強い西﨑監督、という前提に立って読んでみると、どことなく想像することはできます。

すなわち、監督は当初こそ副監督以下の現場スタッフに対して細かく指示を出していたものの、この時期になってくると概ね作業を彼らに任せるようになった、と。

ですが、だからこそ小林さんたちは「四苦八苦」するようになったのではないでしょうか。監督がどんなスタンスで部下たちに接するにせよ、最終的には監督が満足しなければ合格は出ないわけです。一般論ですが、上司が満足する、という点にゴールを置いて作業を進める上では、むしろ細かな指示が出ていた方がやりやすいこともあります。

さて、完成した『復活篇』に「自己照明」が多く使用されているのは、皆様もご覧になった通りだと思います。すなわち、監督の合格を得たということです。

言い換えるなら、「自己照明」は「原作者」たる西﨑義展のお墨付きを得て本編に登場したわけです。恐らく西﨑監督も、初のCGでの『宇宙戦艦ヤマト』メカということで、手描き時代とは異なるメカの魅せ方に苦労したことと思います。その中で、小林さんが監督を補佐する副監督として、「四苦八苦」の末にたどり着いた答え。愛着もあるというものでしょう。

小林さんは『ハイパーウェポン2009』の巻末でこう述べます。「1986年から始まった『西崎学校』はこれ(注:『復活篇』の完成)にて卒業です」と。

この『復活篇』での経験を経て、小林さんの中ではこの「自己照明」こそ、自分が「西崎学校」で学んだことのひとつ――『宇宙戦艦ヤマト』に取り組む上で自信を持って送り出せる表現のひとつになっていったのではないでしょうか。

ちなみに《銀河》の元デザインとなった《武蔵》について、小林さんは『復活編』『2520』の頃に松本零士さんから認められた、と幾度となく主張しています。

これらに限らず、コスモパルサー(『復活篇』)の前身機のひとつに位置づけられそうなデザインのコスモタイガーⅠ(『2202』)、貨物船《ゆき》(『復活篇』)と貨物船《きさらぎ》(『2202』)など、『復活篇』と『2202』を繋ぐものは少なくありません。後付けの論理かもしれませんが、『復活篇』から『2202』へのデザインの応用・流用には、小林さんの主観からすれば二人の「御大」から認められたデザイン、という意味での「『宇宙戦艦ヤマト』らしさ」が込められていたのかもしれませんね。