こんにちは。ymtetcです。
前回の記事では「『2202』の最終話で肯定された古代進の『理想』とは、実は『2199』のテーマそのものだったのでは?」というお話をしてみました。
今日はそれに続いて、『2202』で描かれた「相互理解」について考えてみます。
すると、シナリオ『2202』と本編『2202』の若干の違いの理由が推測できました。
まずは、タイトルに掲げた「ズォーダーの改心」について、シナリオと本編の違いを見てみます。
先に、「ズォーダーの改心」が描かれているシナリオを見てみましょう。
透子の声「ごめんなさい」
ぎょっと傍らを見るズォーダー。サーベラーがいるべきところに、桂木透子がいる。
ズォーダー「(思わず身を引き)……!」
透子「私がこの船を目覚めさせたせいで、あなたは千年も……」
喋りながら、その姿がすうっとサーベラーにオーバーラップしてゆく。
ズォーダー「サーベラー……」
光の中、ズォーダーを見つめるサーベラー。その瞳から涙がこぼれ落ちる。
見つめ返すズォーダー。一瞬、震わせてしまった目をぎゅっと閉じ、
ズォーダー「……おまえは、わたしの願いに従っただけだ」
返事を待たず、その腕の中にサーベラーを抱き寄せるズォーダー。
サーベラー「……!」
ズォーダー「もういい」
サーベラーを抱きしめたまま、スクリーンを見上げるズォーダー。
ズォーダー「もういいんだ……」
神々しい光が、それ以上の言葉を持てない男の厳しい顔を照らす。
(「脚本・福井晴敏/岡秀樹『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第二十五話『さらば宇宙戦艦ヤマト(仮)』第二稿」『シナリオ編』209頁。)
シナリオの第25話では、サーベラーがズォーダーに「ごめんなさい」「私がこの船を目覚めさせたせいで」と語り、ズォーダーは「もういいんだ……」と応じるシーンがあります。これは、ズォーダーが「改心」するシーンにあたります。「改心」というよりは、「鬱抜け」という表現の方が相応しいかもしれません。
シナリオでは、第26話で雪に語り掛ける語り手はズォーダーとサーベラーのみでした。
このシナリオを読んで、「前回まで超悪役だったズォーダーがいきなり改心するのは……」として、本編のやり方に改変したのが羽原監督です。その結果、本編のラストシーンは”鬱抜けしたズォーダーが「無限に広がる大宇宙」を語る”という旧作オマージュのナレーションとなりました。それはそれで、ズォーダーの”鬱抜け”をささやかに演出できていた点で良かったとは思います。
ただ、「構成メモ」を通読し、そこに流れていた「相互理解」という『2202』の「理想」を踏まえた時、そんなささやかな演出では物足りない、という考え方もできます。
すなわち、「他の星の人たちとも手を取り合える」というテーマを『2202』に流すのであれば、ズォーダーの”鬱抜け”が明確に描かれなければ物語は完結しないのです。
ズォーダーもまた人間なのですから、手を取り合える可能性が示されなくてはならないのですね。
もちろん、実際の本編『2202』では「相互理解」は陰のテーマとなっていたため、本編のやり方でも問題はないでしょう。
ただ、福井さんがズォーダーの改心をシナリオに盛り込んだその狙いは、「相互理解」を描く『2202』のもう一つの物語に決着をつける、その一点にあったと考えます。
シナリオでは「相互理解」を強く意識して物語が作り上げられていたものの、それをアニメ化するにあたっては、徐々に「相互理解」というテーマが後退したと言えます。
そしてこの過程に福井さん自身も携わっていたわけですから、その意味で『2202』は、『2199』を相対的に軽んじる(『2199』の引き継ぎを重要視しない)方向性を持って作られていたと考えられそうです。
<追記>
明日は「ラジオ・スイート 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」の放送です。
見どころや番組の聴き方等は、『宇宙戦艦ヤマト』音楽研究の第一人者の一人であり、番組を主催しておられる福科考∞譜観さんがブログにまとめておられますので、そちらをどうぞ*1。
当日は、私もささやかに楽しむ予定です。