ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

福井晴敏の『ヤマト2202』語り パート2

こんにちは。ymtetcです。

福井晴敏の『ヤマト2202』語り」と題して始めたものが、思わぬ形で二本の記事になりました。インプットした分のアウトプットが出たということで、それはそれで健全なことなのだろうと思います。

今日は改めてインプット作業を行います。

取り上げるのはこのインタビューです。

gigazine.net

gigazin様の福井晴敏インタビューは第七章の後に出されたものと第一章の前に出されたものの二種類がありまして、どちらも読み応え十分のインタビューとなっています。敢えて逆行する形で、今日は第七章の方から読んでみます。

インタビューを読む前に、この企画の原点に立ち返りましょう。

福井晴敏の『ヤマト2202』語り」は、付随した前回までの記事も含めて、

  1. 「企画メモ」レベルでの議論
  2. 「構成メモ」レベルでの議論
  3. 「シナリオ」レベルでの議論
  4. 「絵コンテ」レベルでの議論
  5. 「本編」レベルでの議論

この5つの議論レベルのうち一番目の「企画メモ」レベル、あるいは二番目の「構成メモ」レベルまででの議論になります。もちろん資料として「シナリオ」を引用することはありますが、あくまで問いとしては

「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは何だったのか?」。

という「企画メモ」レベルの理念を問うものです。これを福井さんのインタビューを介して読み取っていく。こういうコンセプトで進めていきます。

では、参りましょう。

gigazine.net

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「人が生きていく中で、誰もが経験すること」を描いた作品である。

人が生きていく中で、誰もがどこかで経験すること以上のものは入れていないです。(略)「恋人が自分のことを全部忘れてしまう」というのはそうそうない経験だとは思いますが、我々ぐらいの年になってくると、今後、親がそうなるかもしれませんし、ヤマトを見ている人の中にはすでに経験しているという人もいると思います。

不思議な縁が紡いだラスト、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」羽原信義監督&シリーズ構成・福井晴敏さんインタビュー - GIGAZINE

と、福井さんは語ります。福井さんは、古代進が『2202』で味わった理想と現実の葛藤は、「人が生きていく中で、誰もが経験すること」と言っています。

また、古代進にとって大きな喪失となった森雪の記憶喪失は、現実世界の「認知症」と絡めた発想だったことも紹介されています(後付けっぽいですが)。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「生きていく上で」の「辛いこと」を「ぶちまけて共有」する作品である。

頑張っていれば生活がよくなり、周りも発展していく、というのが昔はありました。ところが今の時代は、生きていくのが精一杯です。そこへ「生きていく上でこんなに辛いことがあります。耐えていってください」って言われたら、何を縁(よすが)に生きていけばいいのか。「そういうことを言わないのが大人である」というなら、せめてこの作品のなかでだけでもぶちまけて共有して頑張ろうねというお話が作れれば、若いときの純粋な気持ちのまま死んでいった40年前の古代進に対して面目が立つのではないかと。

不思議な縁が紡いだラスト、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」羽原信義監督&シリーズ構成・福井晴敏さんインタビュー - GIGAZINE

これが二つ目です。福井さんは、「頑張っていれば生活がよくなり、周りも発展していく」という「足場」があった昭和に対して、今はそれがない、と指摘します。

”頑張っても意味がない”という諦念が蔓延し、それが今の時代の”生きづらさ”に直結している、そんな主張かと思います。苦労や辛さに対する救いが、この現代にはない。そう見ているのでしょう。だから『2202』でその”救い”を作る。そんな発想なのではないでしょうか。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「自分たちの中の古代進と向き合って」「意思疎通」する作品である。

ところが、今は間違ったりぶつかったりすると「じゃああなたは終わりね」と平気で言われてしまう世の中。当時の古代進はいま現在、我々の胸の中でとても生きづらい思いをしているわけです。だから、自分たちの中の古代進と向き合って「忘れたわけじゃないよ」と意思疎通できれば、日々生きる中でも違った風景が見えてくるんじゃないかな。

不思議な縁が紡いだラスト、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」羽原信義監督&シリーズ構成・福井晴敏さんインタビュー - GIGAZINE

これはおおよそ、前回までの議論とも関わってくる主張ですね。古代進とは、現実世界に「理想」を否定され、そのことに”納得させられ”続けてきたあなたたち自身なのだ、と。だからみんなでその「理想」を救いにいく。これは最終話の真田の演説&国民投票で、割とストレートに描かれたテーマだと思います。やはり最終話がないと、『2202』は完結しないのです。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは、「失いたくない」「と思える何かに出会えた」という「幸せ」を描く作品である。

生きている間に失いたくない、死ぬのが惜しいと思える何かに出会えたということだから、こんなに幸せなことはない。それは、本作の全テーマといっても過言ではありません。「世の中、こんなにも辛いことがあるけれど頑張ろうね」ということを体現するキャラクターとしてきっちり育てていきました。

不思議な縁が紡いだラスト、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」羽原信義監督&シリーズ構成・福井晴敏さんインタビュー - GIGAZINE

キーマンについての話の文脈で、これが語られました。

福井さんは「生きている間に失いたくない」ものに出会える「幸せ」を「本作の全テーマ」と語ります。それに続いて、キーマンのことを「『世の中、こんなにも辛いことがあるけれど頑張ろうね』ということを体現するキャラクター」と語ります。

先ほど紹介した、福井さんの考える「生きていく上」での「辛いこと」。かつては「頑張っていれば生活がよくなり、周りも発展していく」という「足場」があったけれど、今はそれが存在しないということ。

キーマンが出会った山本玲という「失いたくない」もの、あるいは古代進が高次元世界で出会った自らの子という「失いたくない」ものは、現代の”生きづらさ”の克服のためのヒントとして、福井さんが提示したものだと解釈できそうです。

対比してみましょう。(昭和)は、”生きていく上でどんなに辛いことがあっても頑張っていれば生活がよくなる”という「縁(よすが)」があった。でも(平成、当時)はその「縁(よすが)」がない。福井さんにはこんな時代観があります。

そんな現代社会で、人間はどこに「縁(よすが)」を見出せばよいのだろうか?

福井さんは、このような問いに対して、”「生きている内に出会う『失いたくない』何か」「死ぬのが惜しいと思える何か」こそ、現代社会の「縁(よすが)」だ”と答えます。それがキーマンにとっての山本玲であり、古代進にとっての子どもであり、加藤三郎にとっての家族だったというわけです。そうすると、『2202』では、「死ぬのが惜しいと思える何か」の表現は「愛すべき人間」に偏っていたと言えます。

それを自覚してか、福井さんはこんなことを述べています。

そうそう、最後にひとつだけ。言うまでもなく、「あなたを待っている未来」は古代が見たものに限りません。者でも物でも、それこそ観たい映画があるってだけでもいい。

(『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち 第七章 新星篇 劇場用パンフレット』3頁。)

ヤマトファンであれば「明日への希望」と表現したいところですが、福井さんが果たしてそこまでを念頭に置いてこの表現を盛り込んだのか? 聞いてみたい点ですね。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは「力の論理」が「ぶつかり合った」「バカバカ」しさを描く作品である。

心というものを否定して物量だけで押してくるガトランティス、それに飲み込まれてしまう地球、という構図をきっちりやりたいなと考えました。戦後日本がこれから発展していくというのは金権主義を受け入れるということなんだと象徴するように、マンハッタンの摩天楼が乗っかった月が襲いかかってくる。「力こそ正義、従え」と。それに古代がノーを突きつけ、命がけで抵抗した。

(略)

「さらば」はそこで終わっていますけれど、現実の我々はがっつりと併呑されて数十年です。「古き良きものが力の論理が併呑される」というのは今さらやったところでという話で、「向こうが『力の論理』でやってきたが、こちらも対抗手段は整えているぞ」と、お互いぶつかり合った結果をガッツリやっちゃおうということになりました。

(略)

最終的にはたぶんバカバカしくなる。あれだけのものがぶつかり合って……その中でどれだけの人が死んでいくのか、死んだ人間の生身についての実感は前半1クールで積み重ねているので、「これはダメだ」という感じをお互いに共有したところでクライマックスを迎えたいなと。

不思議な縁が紡いだラスト、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」羽原信義監督&シリーズ構成・福井晴敏さんインタビュー - GIGAZINE) 

福井さんは『さらば』の物語を「マンハッタンの摩天楼」が地球に襲い掛かり、彼らが述べる「力こそ正義」に対して「命がけで抵抗」する物語だと解釈しています。是非はともかく、この解釈は福井さんがよく述べているものです。

この解釈に基づいて、福井さんは『2202』で「力の論理」と「力の論理」のぶつかり合いを描いた、と。土星沖海戦が”ああなった”根源ですね(笑)。ただその構図が第六章のドラマに繋がった側面もあるわけで、これをどう評価するかは微妙なところです。

  • 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』とは「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に100%答えた作品である。

どんなものも「これできれいに終わったな」と思っても、確たることは言えません(笑) 言えないけれど「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に関しては、100%応えたという自信はございます。

不思議な縁が紡いだラスト、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」羽原信義監督&シリーズ構成・福井晴敏さんインタビュー - GIGAZINE

最後はこれです。

「筆頭としたお題」とありますが、これは福井さんに課せられたお題が、「『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を原作とすること」「ただし、ラストは全員特攻にはせず、主要キャラを生き残らせること」「でも泣かせてほしい」の三つだったことを指しています(劇場用パンフレットより)。

問題は「泣かせてほしい」というお題に福井さんがどう応えたのか? ですが、「泣かせる」という点については、”キーマンというキャラクターを育て、主要キャラクターを死なせることと同じだけの悲しみを観客に抱かせること”、そして、”生きづらさを克服する「救い」を描くことで、『さらば』に匹敵するラストのカタルシスを観客に味わわせること”。こういったアプローチで挑戦したと言えそうです。

おわりに

前回の記事「福井晴敏の『ヤマト2202』語り パート1」で読み取ったものは、以下の通りでした。

  1. 『さらば』が訴えていたものを「解体」し、時代的な違いを反映させた作品。
  2. 愛をヒューマニズム人間性)として描き、肯定した作品。
  3. 「戦艦なのに反戦」という「矛盾」を「真正面から受け止めた」作品。

そして、今回の記事で読み取ったものは以下の通りです。

  1. 「人が生きていく中で、誰もが経験すること」を描いた作品。
  2. 「生きていく上で」の「辛いこと」を「ぶちまけて共有」する作品
  3. 「自分たちの中の古代進と向き合って」「意思疎通」する作品
  4. 「失いたくない」「と思える何かに出会えた」という「幸せ」を描く作品。
  5. 「力の論理」が「ぶつかり合った」「バカバカ」しさを描く作品
  6. 「『さらば』のリメイク」を筆頭としたお題に100%答えた作品。

”生きづらさの克服”など共通する理念でまとめられそうにも見えますが、今回は一旦並列させておきます。

実のところ今日は二本くらい読んでみたかったのですが、なかなか読み応えのあるインタビューで苦戦しました。この次に読む予定の第一章の前に出たgigazine様の記事も、これまた重要なことをたくさん福井さんが語っている記事なので、苦戦することになりそうです。

さらに裏事情を話しますと、「『シナリオ』を読む」の作業も第9話を突破して第10話に差し掛かっています。というのも、第4話から第9話というのはあまりにも引っ掛かりがない(笑)。第9話がなぜ失敗したのかは、小説版『2202』を読めば大体わかりますからね(あの超展開を行うためのSF的な辻褄合わせは用意されていたようですが、映像化が大変難しくなっているのです)。

そして第10話については、「絵コンテ」(「本編」の構成)と「シナリオ」を比較する、「シナリオ」と「構成メモ」を比較する、そして「絵コンテ」と「構成メモ」を比較する、みたいな作業を行ってみようと画策中です。読む皆様が面白いのかはちょっと自信がありませんが、やってる方は絶対に楽しい作業なので、チャレンジしたいと思います。

そろそろ『スターブレイザーズΛ』も公開ですね。こちらも待ちつつ、ゆらゆらとブログを続けていきたいと思います。