ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】「愛」と「理想」の二項対立

こんにちは。ymtetcです。

前回「福井晴敏の『ヤマト2202』語り」で読んだ、こちらの記事。

akiba-souken.com

非常に引っかかる記述がありましたので、考えていきます。

--「2202」全体を通じて、サブタイトルにもある「愛の戦士たち」というテーマは、成就できたでしょうか?

 

福井 ここまで観てくるとおわかりでしょうけど、「愛の戦士たち」って、ある意味で皮肉なタイトルなんですよね。全然、愛を肯定してない。むしろ、愛のために人間がどれだけ自分自身を裏切らなくてはいけないかという。愛というものを知ったがために、本来持っている「正義」であったり、「信念」であったり、人間として理想とするものであったりを、刻一刻裏切りながらでないと、ここまで生きられないのが人間なんですよ、っていうのを描いてきたのがこれまでの話です。だとするならば、では、それは「是」ですか、「非」ですか、という選択が最後に訪れて、それを決めるのは、神様でもテレサでもズォーダーでもなく、この作品を観ている人たちになります。これまで画面に映っていなかった人が最後の選択をする。そういうことになるはずです。

「全然、愛を肯定してない」。

「愛のために人間がどれだけ自分自身を裏切らなくてはいけないか」。

 福井さんは、『ヤマト2202』をそんな物語だと表現します。

 さらに、こう続けます。

「では、それは『是』ですか、『非』ですか」。

 これを「この作品を観ている人たち」が決める、と。

 

 これをいま少し、ゆっくりと読み解いていきます。

「愛というものを知ったがために、本来持っている『正義』であったり、『信念』であったり、人間として理想とするものであったりを、刻一刻裏切りながらでないと、ここまで生きられないのが人間なんですよ」。

 ここで福井さんが語っているのは、「愛」と「理想」の二項対立とでも言うべきものです。「愛」ゆえに自らの「正義」や「信念」、「理想」を自分自身で裏切らなくてはならない。そんな存在が、『2202』にはいくつか存在しています。

 以下は、ひとまず今日考えられる限りにおいて、これらを抽出してみたものです。

古代進

  • 「愛」:森雪を守ること
  • 裏切った「理想」:人の命を守ること

 まずは古代進です。古代の「愛」は、森雪にあるとみていいでしょう。古代の「理想」と言えば、パッと浮かぶのは波動砲と相互理解ではありますが、ここでは単純に「人の命を守る」ことに古代の理想があると考えます。

 それは、『2202』では第11番惑星へ向かいたいと主張したことや、あるいは「シナリオ」に登場する第11番惑星の犠牲者に対する謝罪、メーザー艦隊を見逃したことなどにも表れています。『2199』のエンケラドゥス問題を思えば成長したものです。

 そんな古代の「理想」を逆手にとったのが、第9話の「悪魔の選択」でした。

 この「悪魔の選択」は、古代進に「誰を殺すか」を選ばせるもの。しかも一隻に雪が乗っているわけです。雪を生かすことにすれば、3隻のうち2隻に乗り組んだ避難民を自分の勝手な「愛」によって殺してしまうことになります。

「愛」とは身勝手なものである。その事実が古代にのしかかります。

加藤三郎

  • 「愛」:息子の命を守ること
  • 裏切った「理想」:仲間の命を守ること

 加藤の「理想」は劇中では語られていません。ですが『2199』以来、加藤は仲間想いのキャラクターとして描かれています。『2199』第2話で交わされた古代との会話が印象的ですね。それは『2202』でも同様に描かれていると考えます。

 その一方、加藤はこの3年間で、息子・翼という自分の命にも代えがたい大切なものを得ています。これを逆手にとったのが、第18話の「悪魔の選択」です。

 これは「仲間の命を差し出せば、息子は助けてやる」というもの。加藤は、代償が自分の命ひとつならば惜しくなかったはずです。ですが白色彗星を前にヤマトのエンジンを停止させるということは、ヤマトを撃沈させるのとほぼ同義。仲間想いだったはずの加藤の「正義」や「理想」は、ここでズタズタにされてしまいます。

芹沢虎鉄

  • 「愛」:地球と地球人類を守ること
  • 裏切った「理想」:???

「君たちが羨ましい」という言葉を真田にかけた芹沢虎鉄もまた、『2202』で「愛」と「理想」の二項対立に苦しんでいたキャラクターだと考えます。

 芹沢の「愛」は、『2202』から読み解くならば愛国心に近いです。芹沢の行動は『2199』以来、現実的な方法によって地球人類を生き延びさせる、ということに一貫しています。イズモ計画とその後継たるG計画が象徴です。またもう一点、異星人への警戒心の強さも、『2199』以来一貫しています。ガミラスへの先制攻撃もそうですが、異星人であるイスカンダル人を信用しなければ成り立たない「ヤマト計画」を疑っていたこともそうですし、波動砲艦隊の整備も異星人への不信感が根底にあります。とはいえ、地球を守るためにあらゆる手段を動員しようとする人物であることには違いありません

 芹沢の理想はどこにあるのか。語られていないため判然としませんが、「君たちが羨ましい」という言葉、ヤマト帰還時の涙を見るに、芹沢の心にはどこか、”時間断層の運用と軍拡・G計画のような取り組みは間違っている”という意識があったのでしょう。芹沢もまた、自分の「理想」や心で感じた「正義」を自らへし折って抑え込んで、ただ「地球と地球人類を守る」ことだけに取り組んできたと考えます。

 こうして見た時に、芹沢が第21話で披露した「戦え。地球のために。明日を生きる子供たちのために」という演説からは、彼の本心が窺えるような気がしてなりません。もしかしたらガミラス戦争以前、内惑星紛争の頃に、彼がその後「自分の心を裏切ってでも地球と地球人類(特に、子供たち)の”明日”を守る」ことになる決定的な出来事があったのかもしれませんね。

ゼムリア人

  • 「愛」:ゼムリアとゼムリアの人々を守ること
  • 裏切った「理想」:???

 もう一つ、意外なところで言えばゼムリア人たちの振舞いも、「愛」と「理想」の二項対立で読み解くことができます。

 ゼムリア人たちは、自らが生みだしたガトランティスに反乱を起こされました。戦闘に特化した人造人間であるガトランティスの攻撃に、苦戦を強いられていたのでしょう。ゼムリア人たちは、ついにこんな行動に出ます。

ゼムリア人の声A「(嘲笑の像)ガトランティスの王に妻と子がいたとは」

ゼムリア人の声B「(怒りの像)裏切り者の女が、クローンの赤子でおままごとか!」

ゼムリア人の声C「(狡猾の像)さぁ、この女と赤子の命が惜しくば言え。お前たちの軍はどこに集結する――」

(『シナリオ編』167頁。)

 ズォーダーに1000年の絶望を植え付けることになる「悪魔の選択」です。サーベラーとミルを人質に、ズォーダーに選択を迫ります。

 ですがこの行為は、ゼムリアの語り部に「恥ずべき行為」と語られています。そして、「ゼムリア人も必死だった」と。

 きっと、この「悪魔の選択」が間違った行為であることは、ゼムリア人も分かっていたのでしょう。本当ならば、こんなことはしたくなかったはずです。

 それでも、彼らは必死だった。生きるために、大切な何かを守るために。手段を選んではいられなかったのです。

ズォーダー

  • 「愛」:サーベラーとミルを守ること
  • 裏切った「理想」:ガトランティス軍を守ること

 ゼムリア星での出来事は、途方もない悲劇だったと言ってもいいです。ゼムリア人もズォーダーも、互いに「愛」ゆえに己の「理想」を犠牲にしてしまった。「悪魔の選択」のゲームとは違う悲しみが、この事件にはあります。

 取引に応じたズォーダーはガトランティス軍の集結地点をゼムリア人に伝え、ゼムリア人たちはガトランティスの反乱を鎮圧します。ですが、この「革命」の首謀者たるズォーダーへの警戒心か、ゼムリア人はフェアな取引相手だったはずのズォーダーにも刃を向けた。結果、報復されたゼムリアは滅んでしまいました。誰しもが不幸になった出来事だったと言えます。

最終回をどう見るか

 デスラーの物語もこの二項対立の俎上で語れるとは思いますが、ひとまずはここまでにしておきます。

『2202』はこのように、「愛」と「理想」(「正義」「信念」)を対置させることで、「愛」が持つ負の側面を皮肉る物語を作り上げていたことが分かります。この構図をベースに『2202』は古代進を追い込み、一旦は彼を死に追いやりました。

 では、『2202』は単に「愛」を皮肉るための作品だったのか。

 そうではありません。

福井 (略)愛というものを知ったがために、本来持っている「正義」であったり、「信念」であったり、人間として理想とするものであったりを、刻一刻裏切りながらでないと、ここまで生きられないのが人間なんですよ、っていうのを描いてきたのがこれまでの話です。だとするならば、では、それは「是」ですか、「非」ですか、という選択が最後に訪れて、それを決めるのは、神様でもテレサでもズォーダーでもなく、この作品を観ている人たちになります。これまで画面に映っていなかった人が最後の選択をする。そういうことになるはずです。

 人間は「愛」を知っているがために、「理想」を裏切りながらでないと生きていけない。ならば、それは「是」ですか、「非」ですか?

 

 

 福井さんのこの語りから分かることは、とてもシンプルです。すなわち『2202』とは、「人間は『愛』を知っているせいで、自分を裏切りながらでないと生きていくことができない」と主張し、そうやって生きていくことの是非を問う

 そんな作品だったということです。

地球人類

  • 「愛」:地球の国益を守ること
  • 「理想」:二人の命を救うこと

 最終話で突きつけられた二項対立は、こんな構図だったと言えます。

『2202』が描いてきた物語を考えれば、この問いの答えは普通、一つしかありません。

 

 二人を見殺しにして、時間断層を守る。

 

 これしかないでしょう。だって、「こうでもしないと人間は生きられない」と福井さんは語っているではありませんか。人間にできることは、これしかありません。人間がそういう存在だから、ズォーダーは滅ぼしてしまおうとしたのです。

 

 でも『2202』が描いたのは、そんな「当たり前」の答えではありませんでした。

 

否、人間は『愛』ゆえに『理想』を描くことができるのだと、『2202』は主張します。

 

それまで描いてきた「愛」と「理想」の二項対立からすれば、変な話です。

 ですが、この第三の答えを提示することで、ある意味『2202』は、「愛」と「理想」二項対立から人類を解き放つ「明日への希望」(人類はきっとこういうことだってできる、という希望)を、最終話で描こうとしたのではないでしょうか