ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『ヤマト2202』に足りなかったもの

こんにちは。ymtetcです。

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』に足りなかったもの。これは色々ありますが、一つに「『宇宙戦艦ヤマト2199』へのリスペクト」が挙げられます*1

今日はこれを軸に、一歩進んで考えてみましょう。

「リスペクト」≒「成功」に着目する

『2202』に足りなかったもの。それは、

  • 『ヤマト2199』は何故(続編が作られるほどに)成功したのか?

との視点でした。

『ヤマト2202』企画書を読む

これを考えるために、少しだけ『2202』の企画書を読んでみます。

企画書で語られているのは、主に以下の二点です。

  • 『さらば』は何故(社会現象を引き起こすほどに)成功したのか?
  • 『2』以降の『宇宙戦艦ヤマト』は何故(『さらば』までの『宇宙戦艦ヤマト』と比較して)失敗したのか?

『2202』の企画書は、『さらば』までの『宇宙戦艦ヤマト』と『2』以降の『宇宙戦艦ヤマト』を対比的に捉えることで、自らが”愛”をテーマにすることの重要性を示そうとしていました。

その中で、『2199』への言及はただの二箇所のみ。まずは一つ目を引用してみます。

『2199』の後を受けながらも、この『2』という数字の強調と『愛の戦士たち』の副題を同時に掲げることで、本作はどちらのルートもたどり得る可変性をタイトルに内包します。

(『シナリオ編』220頁。)

もう一点はこちらです。

  • 『2199』の改変を受け継ぎながら、ヤマト本来の”ギリギリな空気感”を回復させる。
  • ヤマト生存ルートをたどっても、『さらば~』に匹敵する崇高な大団円を実現する。
  • 『愛の戦士たち』というサブタイトルをただの看板に終わらせず、その通りの内容であったと現代の観客にも訴えかけるだけの内実を盛り込む。
(『シナリオ編』225頁。)

この箇条書きは『2202』の基本コンセプトをまとめたもので、同作の中核的な理念と言えます。その第一条において、『2199』は言及されているわけです。

しかしながら、これは「『2199』には”ギリギリな空気感”が存在しない」と述べているに等しいもの。故に企画書からは、

  • 『2199』を引き継ぐことよりも『さらば』をリメイクすることの方が重要
  • 『2199』は『ヤマト』本来の空気感を失っていた

という、重視していない上にむしろ、批判的な方向性さえもが窺えるわけです。

『2199』はなぜ「失敗」したのか、という問い

『2199』は、失敗作とは言わないけれど満足の行くものではなかった──。『2202』の方向性を決定づけていたのは、福井さんを招聘した人々が抱いていた、こんな問題意識だったと考えます。

もちろん、前作に対して批判的な視点を向けることも必要です。特に『2202』が目指したのは、『2199』のヒットを遥かに超越した「ヤマトの真の復権」。であれば、

  • 『2199』は何故(「ヤマトの真の復権」に)失敗したのか?

については、十分に検討する必要があります。そしてこの点についてはある程度、『2202』は『2202』なりの答えを残していました。それは、そもそも論としての”『さらば』をリメイクする”、”「愛」をテーマにする”といった点に現われていますし、先に引用した「”ギリギリな空気感”を回復させる」ことも、この問いに対する『2202』なりの回答だと位置づけることができますよね。

前作の「成功」と「失敗」を見つめて

ですが、「続編」は前作の存在なくしては、誕生することさえできません。「続編」なる位置づけをするのであれば、少なくともシリーズ作品として、前作から何を受け継ぐべきか、何を受け継ぐべきではないか。これを検討する過程で、「失敗」だけでなく「成功」にも目を向ける機会がやってくるのは当然の流れではないでしょうか。

『2202』で言えば、

  • 『2199』は何故(続編が作られるほどに)成功したのか?
  • 『2199』は何故(「ヤマトの真の復権」に)失敗したのか?

そして『2205』で言えば、

  • 『2202』は何故(続編が作られるほどに)成功したのか?
  • 『2202』は何故(「ヤマトの真の復権」に)失敗したのか?

これらの分析とそれに対する答えが整理されたうえで「続編」に臨むのが、本来のシリーズ作品の在り方でしょう。「PDCA」なる古典的なビジネス用語を持ちだすまでもありません。

福井晴敏が前提にしていたもの

『2202』、特にシリーズ構成・脚本の福井さんには、「『2199』は何故(続編が作られるほどに)成功したのか」という分析と整理が不足していました。

であるとすれば、それは一体何故なのか。

福井さんが、「自分(福井晴敏)にオファーした人間は『2199』に満足していない」という前提を持っていたからではないでしょうか。

以下の二つの引用文をご覧ください。

福井 我々も呼ばれて参加することになったんですが、スタッフを変える理由というのは単純で、「前とは違う作品を作ってくれ」ということですよね。ただ、「2199」を好きなファンの方もいるわけで、それをまったく無視した作品を作るというのはあまりにも効率が悪い。なので、前の作品を生かしつつ、かつ「2199」では取りこぼしている部分をすくっていきたいと。「ヤマト」という作品は、アニメファンだけが見るものではないというのが市場として大きくて、アニメを見る習慣がない大人でも、これだけは見るという人が残っています。ただ「2199」では今のアニメファンでも取っ付きやすいようにした部分がけっこうあるんですが、そのビジュアルの部分というのが、逆にアニメファンではない人たちからすると「これは俺には関係ないかな」と遠ざける要因にもなる。そういうことがないように、「2199」で撃った弾で戦果をあげているので、今度はこっちに網を投げましょう、というところですね。

「宇宙戦艦ヤマト2202」 羽原×福井×岡インタビュー - アキバ総研

*2

同様の話は他の場でもしています。

(略)『宇宙戦艦ヤマト2199』を否定する気分は我々には毛頭ありません。ただ、まるで同じなら、同じスタッフが作ればいいことなので、こうして陣容が変わった以上、変更を期待されるところは少しずつ変えてはいます。

(『宇宙戦艦ヤマト オフィシャルファンクラブマガジン 航海日誌 Vol.13』13頁) 

「否定する気分は我々には毛頭ありません」と語っているように、実際に『2202』は『2199』を(表立っては)否定していません。少なくとも脚本の上では、(岡秀樹さんの尽力もあって)『2199』を受け継ごうとした形跡は随所に見て取れます。描かれなかった『2199』設定──(例)桐生と斉藤──もありますが、それは見落としではなく、シリーズを組み立てていく上で”必要ない”と判断し、オミットしたものでしょう。

『2202』は、少なくとも脚本レベルでは、一定程度『2199』を踏まえた上で作られていたわけです。ですが、果たしてそこに、「『2199』はなぜ成功したのか」という視点はあったのか。あったとしても、どれだけのリソースを割くことが出来ていたのか。

結果論ではありますが、この視点については不足していたと言わざるを得ません。

『2199』の再検討を求めたい

先ほど『2205』について言及しました。『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』は概ね『2202』と同じスタッフですので、『2202』の「成功」と「失敗」にはきちんと目を配って企画がなされているでしょう。あるいは、旧『新たなる旅立ち』や『Ⅲ』を「失敗」と見なして、その反省も盛り込まれている可能性が高いです。

ですが私としては、ここで一つ、今一度「『2199』は何故成功したのか」にも向き合って欲しいと思います。『2202』は結果として、(恐らく)『2199』ほどの成功を収めることはできませんでした。それは別に責められることではないと私は思います。チャレンジした結果「失敗」したのであれば、それは仕方のないことです。しかも続編が作られるということは、一定程度「成功」したことの証。ならば、大きな変革は必要ないとの判断も理解できます。

『2205』をより「成功」に近づけるために必要なのは、改めて『2199』をリスペクトし、『2199』の「成功」を『2202』の「成功」の上に積み重ねていくことです。それこそが、あるいは『2199』や『2202』の「失敗」を改善し、「成功」へと転換させることにも繋がるでしょう。

私は、「ヤマトの真の復権」とは、このようにして全ての試みの「成功」と「失敗」に向き合って、絶えず試行錯誤を続けたその先にあると信じています。

*1:関連記事:「軽視」に代わる表現を考える - ymtetcのブログ

*2:”「2199」で撃った弾で戦果をあげている”と述べていることから、福井さんには『2199』が「成功」したという意識があることが分かります。ただ、その要因については十分な検討がなされているとは言えません。