どんな人生も武器になる:第6話『スターブレイザーズΛ』
こんにちは。ymtetcです。
今日は、10月9日に公開された『宇宙戦艦ヤマトNEXT スターブレイザーズΛ』第6話を取り上げます。
マリナ回後編ですね。個人的には、これまでの『Λ』で一番好みの回でした。シンプルながら間違いのない、質の高い脚本でした。残念ながら、SFの理屈について深く掘り下げることはできませんが、自分なりに『Λ』第6話について考えていきます。
吾嬬竜孝『宇宙戦艦ヤマトNEXT スターブレイザーズΛ』第6話「次元潜航」
〇あらすじ
メモがてら、簡単に今回のストーリーを振り返っておきましょう。
冒頭、ユウは再び不思議な夢を見ます。目を覚ますと、隣にリンネが寝ています。その時、セイレーネス襲来の警報が響き渡りました。前回と同じパターンです。
セイレーネスとの三度目の戦いが始まりました。先手をとったのはナーフディス側。「さいつよ」マリナの活躍で、艦隊は二体のセイレーネスをキルしました。
こうして順調に作戦が展開される中、異変が起こります。セイレーネスの反応が消えたのです。セイレーネスは、「レイジクイット」(いわゆる「キレ落ち」)をしてしまったのか?
そんなわけはなく、彼らが余剰次元に潜航していることが明らかとなります。ナーフディスは、余剰次元に潜航するセイレーネスに苦戦を強いられていきます。
艦隊のヒーラーであるアイシャが不意打ちを食らい、艦隊の司令塔・ニーナの「目」であるセカンドサイト(ドローン)も落とされていました。そして、次に攻撃を受けたのは、ニーナに代わってセイレーネスをマークしていたリンネ。彼らは艦隊を無力化するためか、明らかに戦術的な攻撃を加えてきています。
──このままでは仲間は守れない。地球も、母の愛したヌナブトも守れない。
この状況を見たマリナが動きます。ヌナブト(=「我々の土地」)を愛していた母は、マリナにこう言っていました。”この土地は、いつか必ずマリナのことを助けてくれる”と。
氷を操り、「寒さ」を武器としたマリナの戦い方は、極寒の地で暮らしてきた彼女そのもの。自分の人生を武器にして、マリナはセイレーネスとの戦いに「さいつよ伝説」を残していきました。
戦いを終え、一息ついたマリナのもとに、一通のメールが届きます。そこには、祖父と共に写る父の写真が添えられていました。
マリナはマリナのやり方で、母の愛した人を、母の愛した土地を守ったのでした。
〇雑感
毎回「よかった」と言っているのですが、今回は特によかったです。
今回のよかった点は、なんといっても
- 「マリナの物語」×「SF的理屈」の相乗効果
でしょう。吾嬬さんは今回、人間ドラマとSFドラマの双方が互いに影響しあって引き立てあうことのできる「スイートスポット」のようなものを見つけておられたと思います。
人間ドラマだけに注目すると、第6話のドラマはこうです。
- カナダに生まれ、イヌイットの文化の中で生きてきたマリナの人生が、仲間を守り、家族を守り、母の愛したものを守った。
ここに、
- 「重力は絶対零度を超えると反転して斥力として働く」
との理屈が加わり、相乗効果を生みだしているのです。
マリナが用いた理屈は、マリナのこれまでの人生から連想されたものです。少なくとも、寒冷地で育ったマリナの人生と重ね合わせる演出がされていることは間違いありません。ここにおいて、マリナがこの理屈を用いたことは、母の言葉である「ヌナブトがマリナを助ける」の具現化だと言えます。
マリナの人生が人類を救い、母の愛した土地と家族と、大切な仲間を守った。寒冷地出身のマリナのドラマに、「寒さ」をキーワードとしたSF的理屈を直結させる。こうして第6話は、「アツい」人間ドラマをSFとして描くことに成功していました。
〇人類は和解ができる
そして、私にとって重要だったのはラストシーンの写真です。父親から送られてきた写真が、この物語を綺麗にまとめあげていると思います。前話でぶつかり合っていた二人が並んで写真に納まり、父親は笑っている。
私はこのシーンに、「人類は和解ができる」とのメッセージが込められているのかなと思いました。仮に込められていなかったとしても、私はそう読み取りました。
前話で、マリナはイヌイット式の「和解」を紹介していました。太鼓を叩いて相手の皮肉を言い、笑ったらおしまい……。
そうして和解することだってできる人たちを、マリナは守りました。マリナ自身が「セイレーネスとの戦いも、そうやって終わらせることができたらいいのに」と語っていますが、その願いを持つ人々が生きている限り、その希望は残り続けます。
マリナが守ったのものは、明日への希望でもあったのです。
〇どんな人生も武器になる
第4話で、ヒューゴーはヒューゴーにしかできないやり方で戦いました。そして第6話、マリナはマリナにしかできないやり方で戦いました。
どんな人生も、その人にしかない、その人だけのもの。だから、その人のやり方で戦う。その人のやり方で、その人の大切なものを守る。
私は、第4話と第6話で描かれたものはこういった物語だったと考えます。言い換えるなら、どんな人生も武器になるという物語です。
この大きなテーマは、今後の物語が進行していく上で、一つの柱になるのではないかと考えます。これは、人間一人一人の人生を肯定することにも繋がるからです。『Λ』はSFドラマを通じて、こうした普遍的なテーマを観客と共有する物語になるのではないかと予感しているわけです。
〇『Λ』への期待
「お前はお前にしかできないことをやれ」。この言葉は、私の脳裏に一種のトラウマとしてこびりついています。いい言葉をちりばめたからと言っていいドラマになるわけではないのだと、改めて痛感させてくれたセリフです。
いいドラマとは、いい言葉に至るまでの背景や心情を、説得的に積み上げて初めて成立するものだと考えます。
その点『Λ』が面白いのは、”いい言葉に至るまでの背景や心情”を説得的に積み上げているのに、一番オイシイはずの”いい言葉”が出てこないところです。
第6話の一番最後のセリフは、「はい マリナちゃんさいつよ伝説」。型にはまった「名言」からは程遠い、等身大の言葉使いですよね。これでマリナ回を終えるのですから、『Λ』は心憎いと同時に、心強くもあります。
表を「ミーム」やスラング・馴染みの言葉で一見ライトに飾りながら、その実、裏では丁寧かつ繊細に物語を積み上げていく。これが『Λ』の強みなのではないかと思いました。今回は、登場人物の言葉使いのノリの良さが「軽い」イメージを与えてくれる反面、意図的なドラマの組み立てが明確に見られました。そこにSF的な理屈が加わっていることで、この第6話はパーフェクトな物語に仕上がっていると思います。
今回私が指摘したことは、必ずしも吾嬬さんの意図していたことではないと思います。ただ、『Λ』がすごく丁寧に作られていることは、今回よく分かりました。
作り手が明確な意図を持って表現し、それを観客が「いいもの」として消費する。それってきっととても健全で、いいことだと思うのです。第6話のクオリティは、『Λ』がそういった作品になる可能性を十二分に示してくれたと思います。