ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「後出し」肯定論:『宇宙戦艦ヤマト』の未来を作る

こんにちは。ymtetcです。

10月16日は映画『ヤマトという時代』の公開ほぼ3カ月前ですね。そろそろ特報なり予告編なりが来そうな予感がします。ただ、今週末は少しブログから離れることになりますので、仮に公開されても日曜日には対応できないかなと思います。日曜日の分は今のところ、『Λ』について持論を述べたいと考えています。まだ書いていないので分かりませんが……。

今回は近年の『宇宙戦艦ヤマト』に関する持論です。

〇リメイク=「公式二次創作」論

いわゆるオリジナルシリーズの続編である『復活篇』が公開されてから、その後を受けて『実写版』『2199』『2199TV』『方舟』『2202』と公開されてきた『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ。特に『実写版』以降は、オリジナルスタッフの手を事実上離れて、作られています。

それ故に、特にリメイクシリーズ以降の『宇宙戦艦ヤマト』には「公式による二次創作」との論評がついてまわるようになりました。それは、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも使われていました。

この「公式による二次創作」論を援用するような形で、以前の過去記事では、

『2199』の原作は『宇宙戦艦ヤマト』(1974年、以下『1974ヤマト』とする)ですから、『1974ヤマト』が「1作目」『2199』は「2作目」にあたります。

『2202』の原作は『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(以下『さらば』)ですから、『さらば』が「1作目」『2202』は「2作目」にあたります。

このように、何を「1作目」と位置づけるかによって、リメイク作品の「〇作目」は変動するのです。

(略)

「白色彗星帝国編」という題材を基準とすれば、『さらば』が「1作目」『ヤマト2』が「2作目」『2202』は「3作目」になります。

リメイク『宇宙戦艦ヤマト』の家系図:「〇作目」論 - ymtetcのブログ

リメイク作品の立ち位置を様々な観点から数えてみよう、との提案もしていました。

現在の『宇宙戦艦ヤマト』はオリジナルスタッフの手を離れており、しかも「作り直し」をしているのですから、こういった見方をされるのは当然とも言えますね。

さて、このように、現在の『宇宙戦艦ヤマト』はオリジナルに対する「後出し」の作品となっています。ゆえに作り手は「オリジナルは超えられない」ことと、「(後出しなのだから)オリジナルを超えなければならない」ことの狭間で葛藤してきました。

『2199』の一部や『2202』で言われた「こんなことをするなら『ヤマト』を名乗らず自分のオリジナル作品でやればいいのに」との批判も、この葛藤の構図を反映したものだと言えるでしょう。そのままなぞるだけではオリジナルは超えられず、しかし、オリジナルは守らなくてはならないリメイクの難しさがここにあります。

〇「先行研究」の重要性

私は、この構図が学術研究に似ていると思っています。

これを説明するのに格好の事例が、つい最近ニュースになりました。

www.yomiuri.co.jp

この技術は中田篤男・大阪大名誉教授(90)、石野良純・九州大教授(63)らが発見した、大腸菌の特殊な遺伝子配列(クリスパー)が鍵となった。後に、細菌がクリスパーを手がかりに、はさみ役のキャス9を使って外敵のウイルスの遺伝子を壊して身を守る仕組みがわかり、この技術に応用された。同アカデミーも、先行研究の一つに中田、石野両氏らの論文を挙げた。

学術研究の世界に存在する「先行研究」の概念です。この新聞記事では、今年ノーベル化学賞を受賞した研究の「先行研究」に日本人による研究が含まれていた、と書かれています。すなわち、日本人の発見が後の研究者に受け継がれ、その発見がノーベル化学賞を受賞するような研究へと繋がったとされています。また別のニュースによると、中田さんと石野さんが発見した謎の「繰り返し現れる配列」に、今回受賞されたお二人が「意味づけ」をしたのだそうです*1

こういったことは珍しいことではありません。新しい学術研究は、必ず先行研究の検討から始まるからです。これまでこの分野では何が明らかにされていて、その根拠は何で、何がまだ明らかにされていないか、それを明らかにするためにはどうすればいいか。このような作業が必ず必要になってきます。

先行研究をリスペクトし、継承すべき点は継承し、批判すべき点は批判する。それが、新たな発見へと繋がる道筋を作っていきます。

〇『宇宙戦艦ヤマト』は学術研究?

オリジナルスタッフの手を離れた現在の『宇宙戦艦ヤマト』は、この学術研究の状況と似通っていると私は考えます。

『実写版』で山崎さんたちが、『2199』で出渕さんが、『2202』で福井さんが行った作業は、オリジナル『宇宙戦艦ヤマト』にとっては”他者”による「意味の再発見」なのです。

「『宇宙戦艦ヤマト』ってこうだよね」「こうかもね」「そうじゃない」。

新作『宇宙戦艦ヤマト」の形式をとってはいますが、実態は、あくまで彼らの『宇宙戦艦ヤマト』論。オリジナルスタッフではない彼ら*2が語る「宇宙戦艦ヤマト』とは何か」が、これらの作品に反映されているのです。

この「『宇宙戦艦ヤマト』とは何か」という根源的な問いが、新作『ヤマト』を作る上で必要なあらゆる論点を網羅しています。すなわち、「『ヤマト』はなぜ社会現象になったのか」「『ヤマト』らしさとは何か」「もう一度『ヤマト』を社会現象とするにはどうすればいいか」といった問いは、突き詰めれば「『宇宙戦艦ヤマト』とは何か」の問いに戻っていくのです。現在進行中の『Λ』、これから公開される『ヤマトという時代』『2205』と、これに対して称賛だの批判だのを浴びせる我々の営みも含めて、現在の『宇宙戦艦ヤマト』に関わる全ての人に、この「『宇宙戦艦ヤマト』とは何か」の問いが、意識するとしないとに関わらず突きつけられていると考えます。

この、容易には正解の得られないであろう問いを追いかけざるを得ない、という意味では、我々観客を含めた『宇宙戦艦ヤマト』に関わる全ての人が(その関わりの深さや費やしたコストの大小に関わらず)宇宙戦艦ヤマト』の研究者なのです。つまり、あらゆる新作『宇宙戦艦ヤマト』とそれに対する感想は”宇宙戦艦ヤマト』論の先行研究”だと言えます。

ある時は称賛され、ある時は批判され、あるものは継承され、あるものは否定される。この営みはある種の「二次創作」的であり、紛れもない「後出しジャンケン」なのです。「二次創作」も「後出しジャンケン」も、時にネガティブな意味合いとして用いられる表現ですが、私は、このような現在の『宇宙戦艦ヤマト』に対する営みを全面的に肯定したいと思います。

私のような未熟な感想ブログから、レベルの高い二次創作作品まで。そして、『2199』のような評価の高いリメイクから、炎上批判賛否両論渦巻く『2202』のようなリメイク、これまでの『宇宙戦艦ヤマト』を継承しない『Λ』まで。様々な形の『宇宙戦艦ヤマト』が存在し、それが様々な形で批判されたり称賛されたりして、この現代に『宇宙戦艦ヤマト』の名を刻み込んでいく。

「『宇宙戦艦ヤマト』って面白いよね」「『宇宙戦艦ヤマト』ってつまんないよね」「『2199』って」「『2202』って」……そのつぶやきだけで立派な『宇宙戦艦ヤマト』論。そのエネルギーこそが、新しい『宇宙戦艦ヤマト』、よりよい『宇宙戦艦ヤマト』の発見に繋がっていくエネルギーなのだと、私は信じています。

*1:ノーベル化学賞 受賞のもとになる発見をした日本人研究者は | ノーベル賞 | NHKニュース

*2:『ヤマトⅢ』に深く関わった出渕さんや『復活篇』に深く関わった羽原さんや小林さんは例外かもしれませんが、強いて言えば西崎さんや松本零士さんに並ぶほどの「オリジナルスタッフ」ではないと考えます。