ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『ヤマトという時代』への向き合いかた

こんにちは。ymtetcです。

映画『ヤマトという時代』の情報が公開された際には「イントロが大げさすぎる」と苦言を(?)呈していた私ですが、なんだかんだと「すごいものが観られるのではないか」と期待もしていました。

しかしながら、試写会のツイートを読む限り『ヤマトという時代』は「ただの総集編」のようです。

鮫乗り様が「クールダウン」(2202総集編:ちょっとクールダウン : 鮫乗りのBlog)と表現されたように、過熱した期待と高く設定したハードルを下げておかないと、必要以上に「期待はずれ」と思ってしまう可能性が高いですよね。

ですが、ここで私は一つの事実を思い出しました。それは『2199』の総集編だった『追憶の航海』に対する評価が、個人的にはかなり低かったという事実です。

〇『追憶の航海』の経験

「『2199』の戦闘シーンを5.1chでまとめて観られたからお得だなー」

これが、『追憶の航海』に対する私の第一印象でした。次から次へと戦闘シーンが続き、そしてその戦闘シーンは『2199』+新規カットという豪華仕様だったので、劇場で観るにはなかなか贅沢な映画だった、とは感じていたのです。

でも、これは映画に対する評価として若干の問題があります。「『2199』の戦闘シーン」「まとめて観られた」「お得」。これは映画評というより「まとめ動画」に対する感想に近い。これは映画の楽しみ方としては、少し勿体ない気がします。

そもそも私は、総集編映画に対する向き合い方を工夫した方が良さそうですね。

〇そもそも総集編とは

そもそも、総集編とは何のためにあるのでしょうか。

検索をかけると、一つのブログ記事がヒットしました。

yamanashirei.blog.fc2.com

ここで「やまなしレイ」様は「テレビアニメを観ていない人のために総集編映画は存在する」と論じています。さらにコメント欄では

  • 名場面を映画館でもう一度楽しむためにある
  • テレビシリーズの内容を思い出すためにある

の二点が指摘されています。この議論からいくと、私は『追憶の航海』を、”名場面を映画館でもう一度楽しむもの”として楽しんだ、ということになります。私の楽しみ方は私の楽しみ方で、どうやら正しい総集編の楽しみ方だったようです。

本文とコメントを読む限り、恐らくはどれも正しい意見のように見えます。ただ、どれも総集編映画を「テレビシリーズに付随するもの」と考えている点が特徴的でしょう。テレビシリーズを簡単に楽しむために、テレビシリーズの名場面をもう一度楽しむために、テレビシリーズの内容を思い出すために。

どれも正しいのだとすれば、また他に総集編の役割がないのだとすれば、結局、総集編映画とはただ単に、(あれこれ工夫するにせよ)テレビシリーズを短く編集したものに過ぎないということになります。すると、テレビシリーズを観ている人がテレビシリーズ以上に総集編映画を評価することはない、ということになるのではないでしょうか。

〇向き合いかたの工夫

総集編映画はテレビシリーズを短く編集したものに過ぎないのなら、総集編映画はそこからの”引き算”で評価されることになります。”引き算”で評価している限り、総集編映画がテレビシリーズよりも高く評価されることは……難しいですよね。

ですが、総集編とは何のためにあるのでしょうか。

「やまなしレイ」様が論じておられるように、本来はテレビシリーズを観ていない人のためにあるのだと私も考えます。

テレビシリーズを観ていない人が総集編映画を観る時、それは”足し算”で評価される可能性が高いと考えます。基準となるテレビシリーズを知らないからです。

本来、テレビシリーズを観ていない人のためにある映画なのに、観ている人が”引き算”で評価して、それで評価が下がってしまうのであれば、それはある意味健全なのかもしれませんが、どこか勿体ないなと思ってしまいます。

 

例えば、『ヤマトという時代』を評価するにも、『2202』を観ている人ならおおよそ、

  • 『2202』は好きだし、やはり『ヤマトという時代』も好き。
  • 『2202』は好きだが、『ヤマトという時代』は嫌い(好きじゃない)。
  • 『2202』は嫌いだが、『ヤマトという時代』は好き(嫌いじゃない)。
  • 『2202』は嫌いだし、やはり『ヤマトという時代』も嫌い。

の四通りの評価になっていくでしょう。その中で、『2202』の評価も『ヤマトという時代』に影響する可能性があるわけです。例えば『ヤマトという時代』は悪くない映画だったけどそもそも『2202』がね……と評価される可能性もあるのです。それはとても正しい感想であり評価なのですが、私個人としてはどこか勿体ない気がしてなりません。

そこで私は、『ヤマトという時代』は極力、一本の映画として鑑賞したいと思います。もちろん、過度な期待はしませんが、ある意味での「新作映画」として処理したいのです。

eiga.com

皆さんに全く通じない例かもしれませんが、『響け!ユーフォニアム2』には『届けたいメロディ』と題した総集編映画がありました。これは総集編映画なのですが、テレビシリーズから特定の要素をごっそりと”引き”残した要素を新規カットで強化する(”足す”)ことで、ワンテーマの映画として再構成したものです。

テレビ一期の総集編(『北宇治高校吹奏楽部へようこそ』)が相対的に評価されなかった一方、二期の総集編である同作は高く評価されています。その違いは、「一本の映画」として「一つのテーマ」を中心に据えていたかどうか、でしょう。

ただ単に第1話から最終話までを編集すれば、それはテレビシリーズをまとめただけの、嫌な言い方をすれば”散漫な映画”、あるいは”淡々とした”、”地味な映画”になってしまうリスクがあります。ですが、ある特定のテーマを据えて描き直すことができたなら、それは新しい一本の映画になり得る。映画『ヤマトという時代』が目指しているものは、どちらかと言えば後者です。

であれば、テレビシリーズとの比較での評価(「二作品をよくまとめたね」等)ではなく、2時間の映画として評価したいなと思います。テーマは何か、それを描くために誰の、どんなエピソードをどこに配置するのか……。

『2202』の総集編は、色々なまとめ方ができると思います。それこそ無難にまとめてもいいですし、『さらば』のような構成でテンポよくまとめるのも面白いかもしれません。でも『ヤマトという時代』は、ワンテーマで再構成する道を選んだ。であれば、過度な期待はしない方がよいとしても、それ相応の備え方をしたいと私は思います。

あたかも『2202』など知らないかのように映画を楽しめたなら、それが私のベストかもしれませんね。