いつ買ったのかも分からない本が、本棚に入っている。そういうことが、時々ある――。
こんにちは。ymtetcです。
先日、本棚にあった見慣れない本を開きました。すると、気になる文章が目に入りました。
長い長い間、インド文明には歴史という文化がなかった。
どういう意味だ? と考えてみたくなるような一文です。
さて、このブログでインドと言えば『スターブレイザーズΛ』。『スターブレイザーズΛ』には、インド哲学の要素が盛り込まれています。
私はインドにもインド哲学にも詳しくないので、この問題にはこれまであまり立ち入ってきませんでした。しかし、私の本棚に入っていたこの見慣れない本が、『Λ』に関する一つのヒントをくれました。
それは、『Λ』は「繰り返し」の物語なのではないか、ということです。
〇輪廻の人生観
(略)歴史という文化がインドについに生まれなかったのはなぜか。この謎を解く鍵は、インド人の宗教にある。
イスラム教が入って来る前からのインドの宗教では、仏教でも、ジャイナ教でも、ヒンドゥ教でも、輪廻(サンサーラ)の思想が特徴である。(略)それぞれの寿命が終わると、生前に積んだ業(カルマ)の力によって、あるいは上等、あるいは下等の生物の形を取って生まれ変わり、一生を再び最初から最後まで経験する。この過程は、繰り返し繰り返し、永遠に続くのである。(略)この考え方では、(略)どの部分もそれぞれ独立の、ばらばらの小さなサイクルになってしまう。つまり、初めも終わりも、前も後もないことになって、ますます歴史など、成立するはずがない。
ここで岡田さんは、
- インドには「輪廻」(生まれ変わり)の考え方がある。
- だから、インドにおける「生」と「死」は、生物が生まれ変わりが繰り返される中の「小さなサイクル」でしかない。
- つまり、インド文明には「初め」も「終わり」も存在しない。
と語っています。生物は皆何かの生まれ変わりであり、死しても別の存在に生まれ変わるだけなのだ、と考えれば、確かに、そこには始まりも終わりもないことが分かります。
〇『Λ』における「繰り返し」
アレクセイ:セイレーネスはネアンデルタール人のようなヒト属の一種…俺たちと同じサピエンスだ…
アレクセイ:考えられる可能性がひとつ セイレーネスは今から80万年後…未来で分岐したサピエンスだ
(略)
ニーナ:エンドレスユニバース サイクリック宇宙論の本…
ユウ:サイクリック宇宙論?
ニーナ:この宇宙は…死と再生を繰り返しているんじゃないか…?って本
(略)
ニーナ:この本によるとこの宇宙は49回目なんだって
(『Λ』第5話)
アレクセイ:遺伝子学的に言えば セイレーネスはトップネスの80万年後の子孫ってことになるな…
(『Λ』第11話)
ここに挙げたのは、これまでの『Λ』で語られてきた「繰り返し」の要素です。アレクセイはセイレーネスを「未来のトップネス」だと推測し、ニーナは「宇宙は…死と再生を繰り返している」とする「サイクリック宇宙論」の本を読んでいました。
ここから、『Λ』は「繰り返し」を『Λ』宇宙の在り方として想定していることが分かります。セイレーネスはトップネスの生きる”今の世代の”宇宙よりも”前の世代”の宇宙で生きていた人類である可能性が高いと言えます。
これらの情報を考えると、『Λ』は「宇宙の輪廻」を作品の宇宙観の根幹に据えていると思われます。そして、本作が古代インドの思想を引用していることは、そのことと無関係ではないでしょう。
ちなみに、「繰り返し」の要素は吾嬬さんの前作である『鉄腕アダム』にも取り入れられています。ただし『アダム』では1万4000年前からの「繰り返し」でしたので、宇宙的にはそこまで大きなスケールではなかったと思います。その点、『Λ』が「宇宙の生まれ変わり、世代交代、輪廻」を取り入れるとすれば、前作に比べてかなりスケールの大きなSFドラマが展開されるのではないでしょうか。
〇「繰り返しの物語」
さて、「繰り返しの物語」と聞いて『エヴァンゲリオン』を思い出した方もいらっしゃるでしょう。『エヴァ』について、庵野監督は「主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく」「くり返しの物語」だと語っています。
何かと「『エヴァ』に似ている」と言われがちな『Λ』ですが、同じ「繰り返し」でも、『エヴァ』と『Λ』は少し違うような印象を受けました。
『Λ』における「繰り返し」は、すなわち輪廻。輪廻の思想では、前世の行い(カルマ)によって来世のあり方が変わります。つまり、「繰り返し」と言っても全く同じものを繰り返しているのではなく、生まれ変わる度に変化をするのが「輪廻」です。セイレーネスが前の宇宙の人類だとすれば、セイレーネスとユウたち”今の宇宙”の人類のあり方の違いひとつとっても、壮大なドラマが配置できそうです。
そして何より、『Λ』には「リンネ」の名を持つキャラクターがいます。「業(カルマ)の子」とされるユウがいます。そして「カルマの子」と「リンネ」が「この宇宙の全ての魂に救済を」もたらす存在だとされています。相対的に小さなスケールであるユウたちのドラマと、壮大なスケールを持つ『Λ』宇宙のドラマが相乗効果を生み出せば、『Λ』は『エヴァ』とは一味違ったアプローチから、SFドラマを展開していくことが可能になるものと思います。
また、『Λ』には親子の要素も登場してきます。これは『エヴァ』にも言えたことですが、親と子の間の「繰り返し」もドラマのモチーフとして有力なものです。ユウとアレクセイ、二人の登場人物による親子の物語にも注目ですね。
複合的なドラマが展開されていく『Λ』にあって、「繰り返し」は、物語を読み解く一つのヒントになってくれるものと思います。
〇お知らせ
<サブブログ更新しました>
アニメ『月がきれい』レビューは次回が最終回の予定です。