ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「過激派」ヤマトファン発生メカニズム:ファンとスタッフの年齢差

こんにちは。ymtetcです。

リメイク・ヤマトをめぐる賛否はもちろん、世代論では語り尽せません。

いわゆる「オールドファン」「古参」「旧作リアルタイム世代」などと呼称される世代のファンであっても、リメイクに対しては一人ひとりの向き合い方があります。

そして今回私が「過激派」と少々失礼な表現を用いた、リメイクに対して熱心なファン活動、あるいはアンチ活動を行う人々にしても、ある特定の世代に限られた存在ではなく、旧作リアルタイム世代とリメイク版の新世代、双方に存在するものだと思います。

ですが、旧作リアルタイム世代に「過激派」が生まれる過程では、特殊なメカニズムが働いているのではないでしょうか。つまり、リアルタイム世代にとって、リメイク・ヤマトを作っているスタッフは同じ世代、あるいは近い世代なのです。だから、「あいつは(自分と同じように『ヤマト』をリアルタイムで観てきたハズなのに)『ヤマト』を分かっていない」と考えて過激化する……そんなメカニズムが働いていると私は考えます。

そもそも、旧作リアルタイム世代が旧作をリアルタイムで楽しんでいた頃、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ作品を作っていたのは自分の父親世代か、あるいはそれより上の世代のスタッフだったかと思います。ここには、「子ども」あるいは未熟な存在である自分自身「大人」であるスタッフ、という暗黙の上下関係が成立しているのです。ゆえに、「あいつは『ヤマト』を分かっていない」という議論には発展しにくい。この時、『宇宙戦艦ヤマト』は大人から与えられるものだからですね。

ですがリメイク版では、旧作リアルタイム世代と同世代のスタッフが『宇宙戦艦ヤマト』を作ります。この時点で、旧作リアルタイム世代にとって『宇宙戦艦ヤマト』は”大人から与えられるもの”ではありません。自分自身もまた「大人」だからです。ここで、自分自身とスタッフの間に存在した暗黙の上下関係は、崩れています。ですから、「あいつは『ヤマト』を分かっていない(自分は『ヤマト』を作る機会がなかっただけで、あいつよりも『ヤマト』を理解している)」という議論が成り立つようになるのです。

さて、リメイク・ヤマトを観ている新世代にとって、現在の『宇宙戦艦ヤマト』は”大人から与えられるもの”です。

例えば私(「若い」と自称するには憚られる年齢ではありますが)にとって、出渕総監督は両親よりも年上のスタッフです。つまり出渕さんは私にとって、ちょうど旧作リアルタイム世代にとっての西崎さん、松本零士さんのような「大人」。これは私以外の、そして私よりも若い世代のファンにとっても同様かと思います。 

つまり、今でこそ新世代のファンは既存の『宇宙戦艦ヤマト』に対して遠慮がち、かつ穏健でいられるかもしれませんが、これから時代が進んで同世代が『宇宙戦艦ヤマト』を作り始めた時には、必ずしもそうとは限らないのではないでしょうか。『宇宙戦艦ヤマト』は”大人から与えられるもの”である、という暗黙の了解が成り立たなくなった時、新世代のファンは新作『宇宙戦艦ヤマト』に対して(今ほど)遠慮がちでいるかと言えば、そうとは限らないと私は思います。

新世代のファンの中には二次創作の世界で活躍している人もいます。彼らの中から仮に新しい『宇宙戦艦ヤマト』を作るクリエイターが現れるかもしれません。ですが仮に、彼らのいずれでもない新たなスタッフ(きっと同世代か年下のハズです)が急進的な『宇宙戦艦ヤマト』を作り、「これが『ヤマト』です」と謳っていたらどうでしょう。私たちは、「あいつは『ヤマト』を分かっていない」という決め台詞を言わずにいられるでしょうか。

自分自身と『ヤマト』スタッフの関係性は絶えず変化します。大きな流れとしては、年を追うごとにスタッフは若返っていくことになります。その中で、作品との向き合い方、スタンスが無意識のうちに変わってしまうかもしれないことは、新世代の『ヤマト』ファンも自覚しておいて損はないでしょう。

いつの時代も、自分の信念への確信と、作り手へのリスペクトは双方持ち合わせておきたいものですね。