こんにちは。ymtetcです。
『ヤマト2205』の本予告が解禁されました。冒頭映像を観ていない勢にとっては、新情報が盛りだくさんな内容でしたね。
今日はいくつかのポイントに分けて、予告編の雑感を書いていきます。
〇デザリアムが戦う理由
回収作業は遅滞なくタイムライン通りに……
記録に存在しないノイズは消し去ります。
グレートプレアデス、前進せよ!
我らはデザリアム。
歴史に残らぬ弱者どもよ……
消え去れ!
デザリアム、千年の夢のために……
必要なのはイスカンダルのみ……
暗黒星団帝国改め、デザリアムが今回の主な敵です。とりあえず、今回の予告編でデザリアム関係者が述べたと思われるセリフをまとめ、ポイントを太字にしてみました。
一覧にして眺めてみると分かりますが、彼らの言葉は基本的に”未来から過去に対する”言葉選びとなっています。タイムライン通りに、(イスカンダルから?)何かを回収する、記録=歴史に存在しないノイズ(デスラーたちのこと?)は消し去る、と。ここから推測できるのは、「デザリアムは自分たちにとっての『あるべき未来』を実現するために戦う存在である」ということです。
ヤマトーク特別映像の情報を見ても、恐らく彼らが「未来の地球」を標榜する集団であることは間違いないでしょう。ですが大切なのは、それが真実なのか否かです。
戦争を推進する国家に大義が必要なのは言うまでもありません。その中で、デザリアム政府が国民に「未来の地球人」と自己を認識させることによって、「あるべき未来(現在?)」を実現するために戦うのだと大義を掲げ、星間戦争をおし進めようとしている可能性もあるでしょう。
デザリアムは本当に未来の地球なのか、それとも星間戦争のための大義に過ぎないのか。前者を取ればSFモノに、後者を取れば戦争、政治モノに軸足がうつります。
文系畑の福井さんが選びそうなのは後者ですが、『2202』の反省を活かしてSF要素を取り入れるのであれば、前者を選び取る可能性もありますよね。ここは『2205』の物語を左右するポイントになるでしょう。
〇カメラワーク
今回の予告編では、『2205』が見せる新たなメカ演出や作画のスタイルも見えてきたことと思います。まず感じたのは、カメラワークの違いです。
海上を航行するヤマトの艦首にカメラを寄せて、ぐるっと回りこませるカット。今回の予告編でもかなり印象的なカットではないでしょうか。安田監督が以前『ヤマトマガジン』のインタビューで述べていた「重量感を表現してみたい」が、しっかりと『2205』に反映されていると分かって嬉しい映像でした。
『復活篇』『2199』以降はメカが3Dになりました。3Dだけに、カメラをダイナミックに動かすと映像映えします。メカの動きよりもカメラの動きを強調する映像作りは『マクロスΔ』にも見かけたので、ここにはサテライト、もしくは安田監督の作画スタイルを感じますね。
〇作画の変化
毎回、「作画が変わった」と述べているような気がします。今回も「変わった」と感じましたが、やはり、何が変わったのかを言葉にすることは難しい。
何となくですが、色の質感や影のつけ方に変化があって、キャラクターの顔が『2199』『2202』以上に立体的に見えるようになっている(もしくは、立体的に見えた時の見え方が変わっている)ような感覚を、今回の予告編からは抱きました。
画面の色づくりについては、『2199』と『2202』の時点で異なることが『時代』のオーディオコメンタリーで語られました。同様の変化は当然、『2202』と『2205』の間にもあるものと思われます。
〇メカ作画の変化
先ほどカメラワークの話をしましたが、メカ作画そのものもかなり変化しているように思います。『2199』のようなリアリティを高める方向性とも、『2202』のような独特なディテール作画を強調する方向性とも異なる、正統派アニメメカの描写をやっているように私には見えました。つまり、「アニメっぽい」。3Dで描かれるメカの造形と色合いを活かすこと、それを宇宙空間に溶け込ませることに重点が置かれていて、あまりディテールを突き詰める方向には進んでいないのではないでしょうか。
ここは、意見が分かれるポイントだと思います。少なくとも『2199』の頃であれば、『2205』のメカ作画は「おもちゃっぽい」と批判の対象になったはずです。
『2199』の西井テイストでも、『2202』の小林テイストでもない新しい『2205』スタイル。ただ、私はこのアニメっぽいメカ作画は、観ていて「飲み込みやすい」と感じました。
〇今のところ好感触
『2199』から『2202』への変化が大きかった分、『2202』と『2205』の変化は肩の力を抜いて楽しめています。今のところ、『2202』から変わった部分は私としては好感触です。