ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】「引きが強い」作劇を活かすためには?

こんにちは。ymtetcです。

『2202』は、「数話に跨る伏線」システムを採用しました。伏線を一度にすべて回収してしまうのではなく、回収せずに置いて先送りしながら、観客を物語に引っ張っていくやり方です。

このやり方は、いわゆる「引きが強い」作劇に繋がりやすく、観客を先へ先へと引っ張ることができるメリットがあります。しかし、このスタイルを採用する上で、『2202』には幾分か不十分な点があったように思います。今日はそのお話です。

私は、この「引きが強い」作劇スタイルで観客を引っ張るためには、物語の基本軸を明確に、かつ観客にとって切実なものにしておく必要があると考えます。

「切実な」とは、キャラクターの向かっていく結末が、観客にとって「実現して欲しいハッピーエンド」、あるいは「実現して欲しくないバッドエンド」である、との意味です。

『2202』のような「引きが強い」構造では、全ての謎が一度に解決することは(最終盤まで)ありません。そのため、”伏線回収の気持ちよさ”を頻繁に観客へ与えるのは難しい構造となります。いわば、どこかに不完全燃焼が起きてしまうのです。

その不完全燃焼を打ち消すには、どうすればいいのでしょうか。私は、そこにこそ、観客にとって明確かつ切実な、物語の基本軸が必要だと考えます。

なぜなら、それは「頑張ればそれが達成される」「それが達成されればすっきりする」という想い、すなわち、不完全燃焼という苦行に耐えるためのモチベーションを観客に与えるものだからです。

『2202』は、それが曖昧だったのではないでしょうか。つまり、作品のゴールが一体何で、何のためにこの物語が進行しているのかが不明瞭であり、そのために「引きが強い」構造はただ観客にストレスを強いるだけになったのではないか、と。

あくまで和解にこだわる古代が苦しみ、命を投げ出すが「理想に殉じる人々」によって救われる……これを作品のゴールとするならば、例えば早々に、古代がガトランティス兵の行動から「人間らしさ」を感づいていく流れにして、古代が目指す「相互理解」と「和解」、それと対置されるような虐殺を宇宙で繰り返すガトランティス、といった構図で物語を構築してもよかったかな、と思います。