ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト3199】目指すは『2202』を超える「人間賛歌」

こんにちは。ymtetcです。

福井さんは、『2205』の企画書に次作『3199』の方針をいくつか記しています。

そこには『3199』が『2202』と似たアプローチをとりながら、『2202』を超えた「人間賛歌」を実現する、との決意が見て取れます。今日はそのことについて考えます。

〇重なる『2202』と『3199』

そもそも福井さんは、『2205』と『3199』のヴィランにあたる「ウラリア(現デザリアム)」について、「未来の地球人のなれの果てであるのかもしれない」と記しています。その答えは『3199』まで明かさないつもりのようです。

『2202』のガトランティス然り、人とは相容れぬ異化された存在が、逆説的に人間のなんたるかを浮かび上がらせる。これから生き辛さが増すと確定している時代だからこそ、安易な人間賛歌にはしない。むしろ現実の刻苦を引き移したかのような状況下で、人であることをやめてしまった異星人との対立を通し、『2202』が描いた人間論のさらに先を目指す。

(『2205 全記録集』141頁、太字は引用者)

そこで、この文章がヒントになります。「人であることをやめてしまった異星人」。

そもそも『2202』で「ガトランティス人は人工の命である」との設定が明かされた時から、”旧作『永遠に』のようだ”、との指摘はありました。旧作『永遠に』のヴィラン・暗黒星団帝国は、機械化された人類であったからこそ、生身の体を欲して地球を攻撃したからです。そして『3199』も、この設定を大枠で踏襲するようです。

しかし、福井さん自身が認めるように、「人とは相容れぬ異化された存在が、逆説的に人間のなんたるかを浮かび上がらせる」物語とは、まさに『2202』です。『3199』でもこれをやるのなら、なぜ今ここで『3199』という新作が必要なのか? との根本的な議論を生むでしょう。

これもまた、「福井ヤマトの限界」と断じられても仕方がないように思えます。

〇デザリアムとガトランティスの違い

とはいえ、それは福井さん自身が認めるところ。もう一度、先の引用文を読んでみます。

むしろ現実の刻苦を引き移したかのような状況下で、人であることをやめてしまった異星人との対立を通し、『2202』が描いた人間論のさらに先を目指す。

(『2205 全記録集』141頁、太字は引用者)

福井さんは『3199』を、「『2202』が描いた人間論のさらに先を目指す」作品だと述べています。

では、『3199』はどんな点において、『2202』の「さらに先」を目指すのでしょうか?

そのヒントになるのが「現実の刻苦を引き移したかのような状況下で、人であることをやめてしまった異星人」との表現です。

 

ここで、『2202』におけるガトランティスとズォーダーの設定を振り返る必要があります。

ガトランティスとは、もともとゼムリア人によって作られた人造人間でした。その中で唯一知性を与えられたズォーダーが反乱を起こし、ガトランティス帝国を作り上げます。その過程で、「愛=感情=人間性」をもつ人間に深く失望したズォーダーは、人類の抹殺を目指すようになる……すなわち『2202』のヴィラン・ガトランティスの物語は、「人造人間が人間に裏切られた話」から始まっているのです。

一方、福井さんの記述によれば、ウラリア(デザリアム)は「人であることをやめてしまった異星人」。つまり彼らの出発点は、「人間が人間をやめてしまった話」なのです。ガトランティスの出発点が「他者への失望」であったのに対し、デザリアムの出発点は「自らの選択」。ここに大きな違いがあると言えます。

〇なぜ再び同じテーマが持ち出されるのか

ここで見え隠れするのは、『2202』第六章で描かれた、波動実験艦銀河とG計画です。作中で、デザリアムがどのような存在と設定されるかはまだ分かりません*1。しかし理念的に、『2202』第六章の物語を受け継いだ作品となる可能性が高いと私は考えます。

背景にあるのは、そもそも『2202』第六章そのものがイレギュラーな存在であることです。『2202』第六章の物語は、当初の『2202』企画書には存在しませんでした。あれは『2202』の物語が構成されていく中で生み出された副産物であり、いうなれば「『2202』の本筋」ではありませんでした。

「藤堂早紀の選択」というドラマは、地球人類からも「愛」を否定するガトランティス的な発想が登場し得ること、そしてその思想をどう乗り越えるか、という場面を描けたこと(略)で、『2202』のシリーズ構成上大きな意味を持つドラマだと私は考えています。

しかしそれが構成メモという「幹」の段階ではなく、脚本という「枝」の段階で初出だった、ということが意外に思えましたので、今回はこれを紹介する運びになりました。

【ヤマト2202】「波動実験艦銀河」のドラマ完成への紆余曲折 - ymtetcのブログ

それゆえ、まだまだ掘り下げる余地はあるとみられたのではないでしょうか。

『2202』傍流のドラマであった第六章の「人間賛歌」を深め、再構成する。

実際にそれができれば、『3199』は『2202』とよく似た「人間賛歌」でありながらも、『2202』とは毛色の異なる、より私たちの生きる社会に寄り添った「人間賛歌」を描くことができる可能性が高いと考えます。

現実の刻苦を引き移したかのような状況下」の先に描かれる、デザリアムの選択とヤマトの「人間賛歌」。『3199』が目指す新しい地平に期待したいですね。

*1:デザリアムがG計画を境に分岐した世界線の存在と設定されるかもしれないし、そうでないかもしれない。