ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2202】「これをヤマトでやる意味はない」と思ったら……

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2202』、特に福井さんの脚本に対して、しばしば「これをヤマトでやる意味はない」「こんな内容なら自分の(福井晴敏オリジナルの)作品でやれ」との意見が見られます。今日はこれに対して、考えていきます。

私は、この「これをヤマトでやる意味はない」には、「何が『ヤマトでやる意味』のあるものなのか」という重大な問いに対するヒントが隠されていると考えます。

「これをヤマトでやる意味はない」との言葉は、程度の差こそあれ、『2199』に対してもぶつけられました。それだけに私たちは、”よくあるファンの反応”として、軽く見過ごしてはいないでしょうか。ですが私は、「これをヤマトでやる意味はない」という感情は、「ヤマトらしさ」にも通じていると考えます。

さて、ここまでの内容は、既に過去記事「「こんなのヤマトじゃない」を未来に繋げる 」でお話したものです。今日の本題はここから。

私は、『ヤマト2202』を「ヤマトでやる意味はない」と感じた人にこそ、福井晴敏さんの「企画メモ」を読んで欲しい、そう思います。

ここで少し、「企画メモ」の”ほんの一部”を引用してみましょう。

あの艦――宇宙戦艦ヤマトの何度目かの船出に際して、我々はその”愛”を主題に掲げることを提案します。題して『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』です。

(「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』(仮)企画メモ」『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち -全記録集- シナリオ編 COMPLETE WORKS』KADOKAWA、2019年、219頁。)

我々が今一度”愛”をテーマに据える根本理由は、今という時代において、かつてヤマトが発信した”愛”の再定義と復権こそが急務であるという確信に他なりません。

(同上、220頁。)

この、(グローバル経済という――引用者注)現代を支配する冷たい論理を敵に回し、ヤマトのクルーが心の底から「否」と叫ぶことができた時、本作はフィクションの枠を超えて観客の胸に届き、初代ヤマトが発信したメッセージを現代に再生させられるものと信じます。

(同上、220頁。)

この「企画メモ」で、福井さんは非常に広い紙幅を割いて、「この物語を『宇宙戦艦ヤマト』でやるべき理由」を語っています。その語り口は非常に丁寧で力強く、少なくとも、『宇宙戦艦ヤマト』に対して無責任な語りであるとは到底思えません。

”「企画メモ」を読めばあなたの考えは変わります”、と言いたいのではありません。

むしろ、「これ(『2202』)をヤマトでやる意味はない」というあなたの信念をもって、「この物語(『2202』)は『宇宙戦艦ヤマト』でやるべきだ」と語る福井さんの論理に立ち向かって欲しいのです。なぜなら、そこに「ヤマトらしさ」を見つけるためのヒントが隠されているからです。

新しい『宇宙戦艦ヤマト』に対して、「これをヤマトでやる意味はない」と思えるのは、『宇宙戦艦ヤマト』に対する確固たる信念を持っているからこそ。それをぜひ、未来の『宇宙戦艦ヤマト』に繋げて欲しいと私は考えます。

「企画メモ」、特に作品の根幹を示した「主題」に書かれていることは、概ね以下の問いで整理できます。

  • 宇宙戦艦ヤマト』とはどのような物語か
  • なぜ『ヤマト』の”愛”が社会に受け入れられたのか
  • なぜ『ヤマト』の”愛”は社会に受け入れられなくなったのか
  • なぜ『ヤマト』は衰退したのか
  • なぜ『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』のタイトルなのか
  • なぜ『2202』は”愛”をテーマにするのか:商業的観点から
  • なぜ『2202』は”愛”をテーマにするのか:現代社会の観点から
  • 『2202』が描く”愛”とはどのようなものか

構造的、かつ丁寧な叙述がなされていることが分かると思います。だからこそ、「これをヤマトでやる意味はない」と考える人ならば、福井さんの叙述の”間違っている”点がおのずと見えてくるでしょう。

主張と反論。この地道なキャッチボールを繰り返して初めて、私たちは少しずつ、途方もない概念である「ヤマトらしさ」に接近していくことができます。そうすれば、よりよい『宇宙戦艦ヤマト』新作を生みだすための道筋が、さらに明確になっていくはずです。

そしてその先には”大勢の人たちが「これぞヤマトだ」と心の中でガッツポーズできるような『宇宙戦艦ヤマト』”があると、私は信じます。