【福井ヤマト】ささきいさお「ヤマトよ永遠に」との親和性
こんにちは。ymtetcです。
今日は「【ヤマト3199】続・旧作ソング、何が流れるか? - ymtetcのブログ」で私が有力候補に挙げた、旧作の主題歌の一つ「ヤマトよ永遠に」の歌詞を解釈していきます。
注目ポイントは、”福井ヤマトとの親和性”です。
〇注目する歌詞は……
今日私が注目するのは、この部分です。
(略)
今日を生き抜く力があるなら
明日に向かう勇気があるなら
恐れるものは何もない
ヤマトよ 君果てしない夢を乗せて
愛ある限り永遠に駆けよ
生命ある限り 駆けよ
(略)
今日を生き抜く心があるなら
明日を見つめる強さがあるなら
互いを信じて行くがいい
ヤマトよ 君大いなる愛を乗せて
歌ある限り永遠に駆けよ
祈りある限り 駆けよ
〇歌詞解釈
この詞には「明日への希望」への文脈が組み込まれています。
「今日」を生き抜くのは、力や心を持つ者。それに対して、「明日」を生き抜くのは、勇気や強さを持つ者。この詞は、明日へと向かうこと、すなわち「明日への希望」を持つためには、勇気や強さが必要だと歌い上げているのです。
つまり、「明日への希望」とは容易なものでも、誰かに与えられるものでもなく、勇気や強さを持って初めて得られるものである、という思想が、この詞には含まれていると解釈できます。
〇福井ヤマトにおける「明日への希望」
さて、ここまでの福井ヤマトでは、「明日への希望」は無条件に与えられるものではなく、「明日への希望」が奪われた状況での苦しみの中で見つけ出すものである、とする思想が、『2202』『2205』ともに存在していました。『2202』では古代が、『2205』ではデスラーの置かれていた状況が、これにあたります。「明日への希望」を奪われるような状況下で苦しみ、それでも最後には「明日への希望」を見つけて清々しい表情でエンディングを迎える、そんな構図が両者に共通していました。
つまり、福井さんにとって「明日への希望」とは容易に得られるものではなく、一度失い、苦しむの中で初めて到達できるものだと位置づけられているわけです。この発想は、「ヤマトよ永遠に」との親和性が高いと考えます。
〇福井ヤマトで「ヤマトよ永遠に」を使うタイミング
『2202』の主題が「愛の戦士たち」、『2205』の主題が「新たなる旅立ち」であるとすれば、『3199』の主題は「ヤマトよ永遠に」になると思います。
歌「ヤマトよ永遠に」における「ヤマトよ永遠に」は、
(略)
ヤマトよ 君果てしない夢を乗せて
愛ある限り永遠に駆けよ
生命ある限り 駆けよ
(略)
ヤマトよ 君大いなる愛を乗せて
歌ある限り永遠に駆けよ
祈りある限り 駆けよ
この部分で表現されています。解釈すると、
- ヤマトよ、永遠に宇宙を駆けよ。愛ある限り、命ある限り。
- ヤマトよ、永遠に宇宙を駆けよ。歌ある限り、祈りある限り。
こういった意味合いです。
福井さんはこれまで、序盤~中盤にネガティブな展開を配置して、終盤でそれを覆す「落として上げる」パターンを貫いてきました。それが『3199』にも通じるとすれば、「ヤマトよ永遠に」もまた、途中でネガティブな印象が与えられるはずです。しかしそれは、最後にポジティブな意味合いに再転換するための前振り。
「ヤマトよ永遠に」というフレーズがポジティブな意味合いに再転換されたとき、「ヤマトよ永遠に宇宙を駆けよ」と歌い上げるこの曲が響けば、詞の意味合いと懐かしさによる相乗効果が生まれるのではないでしょうか。福井ヤマトであれば、終盤にこの曲を流すのがよいと、私は考えます。