【福井ヤマト】前作を乗り越えるアプローチ
こんにちは。ymtetcです。
「福井ヤマト」が繰り返して使う手法に、「前作を否定する」手法があります。
今日はこれについて、改めて考えます。
「福井ヤマト」は『2202』の時に、「前作『2199』を否定している」と、随分批判を受けました。
それはもちろん、表面的な変化が『2199』に否定的に見えたことに由来しますが、中身としても、『2202』は『2199』に対して否定的に見える作品でした。『2199』と『方舟』が肯定的に描いた「相互理解」と「波動砲の否定」は、異星人に対する相互不信の象徴としての波動砲艦隊として、また、それに対する古代進の深い葛藤として、ネガティブなものに置き換えられたのです。
しかしこのアプローチは、福井さんが自身で手掛けた『2202』に対しても行われました。『2205』では、『2202』が肯定的に描いたあの国民投票は土門竜介の人生を狂わせたものとして描かれています。また、それに対する古代進の葛藤も深いものがあります。
もちろん、尺の関係上、古代進の葛藤を長く描くことはしませんでしたが、実際に『2202』ファンでもあった私は、『2202』のラストを否定する『2205』のアプローチ、特に古代進の深い葛藤にはついていけない部分もありました。
このように、前作に対して否定的目線を向け、さらに「本質」に迫ろうとするのが福井さんのアプローチです。
『2205』は、福井さん自身が前作『2202』を手掛けていたこともあってあまり批判は受けませんでしたが、アプローチそのものは、『2202』が『2199』ファンから批判を受けたあの頃と大きくは変わりません。
そしてこのアプローチが今後も続くのは間違いないでしょう。
再び「最大公約数」的アプローチに回帰した『2205』を受けて作られる『3199』が同じようなアプローチをとった時、ファンがどのように反応をするかは未知数です。
その点は、とても楽しみでもありますね。