ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】前作を受け継ぐための手法

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2202』と『2205』はテイストこそ変化しましたが、脚本スタッフが続投したことで、共通しているところもあります。今日はそれについて、考えていきます。

『2205』は『2202』と違い、批判意見が見えにくい作品となっています。もちろん探せばあるのでしょうが、私はわざわざ好きな作品の批判意見を探すほど心が強靭ではないので、実質的にはほとんど見ていないことになります。

しかし、比較的好評価の多いアマゾンレビューならば、と先日見たところ、「デスラーのキャラクターがぶれている」との指摘がありました。その方によると、むしろ『2205』のデスラーの行動は、前作『2202』のキーマンがやった方が自然だというのです。

言われてみれば、確かにそうです。

リメイクシリーズのデスラーの行動は、『2202』で『2199』からの変更(人によっては”修正”)がなされたことによって、一応、『2205』に向けては連続性が保たれています。

とはいえ、「実はずっとガミラス臣民のことを想って行動してきた」「一人、ガミラス星の秘密を背負ってきた」「ガミラスにはイスカンダルを恫喝する旧勢力がいた」など、『2202』で追加された設定は、行動としては『2199』のデスラーと矛盾はなくとも、やはり『2199』で描かれたデスラーの心情的な描写からすれば、(繰り返しになりますが)矛盾はなくとも、違和感があるのはやむをえないところです。

いっぽう『2202』のキーマンならば、ガミラス星の秘密は知らなくとも、デスラー家の一員としての自覚は持っており、叔父を慕う素直さ、純粋さも持っています。『2205』でガミラス星に降下していく場面も、「叔父と約束したのだから」とキーマンが熱く訴えたとすれば、こちらでも違和感はありません。

しかし、キーマンは『2202』で殺す必要のあるキャラクターでした。また、デスラーとキーマンの入れ替えは、ファン心理的にはあり得ません。『新たなる旅立ち』で古代と組むのがデスラー以外になることを望んでいる人は、ほとんどいないはずです。

では、『2205』はどのようにしてこのズレを解消しようとしたのか。

『2205』は、『2202』と同じ手法をとりました。

デスラーの中で甥っ子ランハルトの存在はとても大きいのだ……と整理したのです。デスラーが兄マティウス、甥ランハルトの顔を思い出す場面が印象的でしたよね。マティウスやその子ランハルトと約束したのだから、私がやらねばならない、と決意するキャラクターに、デスラーを発展させたと言えます。

そしてこれは、『2202』の古代進と全く同じ。

想えば古代進も、『2199』の時にはそれほど波動砲にこだわるキャラクターではありませんでした。しかし『2202』は、古代進にとって(波動砲を使わないと約束した)沖田の存在はとても大きいのだ……と設定することによって、古代進波動砲にこだわるキャラクターへと変えていったのです。

これが福井さんや岡さんなどスタッフの作風なのか、はたまた古代進デスラーは実はよく似た性格の持ち主だった」とするドラマ的な仕掛けなのかは分かりませんが、このような手法で、『2202』も『2205』も、前作とのズレ・ギャップを埋めようとしたのだと考えます。

しかし返す返すも、『2202』の古代はもっと沖田や兄のことを思い出す場面があってもよかったかなぁと思います。特に、あれだけテンポのいい『2205』を観た後だと、『2202』は尺が足りないどころかもっと尺があったようにみえてしまうので……(笑)。