ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2199】七色星団戦に号泣した26歳の秋

こんにちは。ymtetcです。

ブログ休止期間中、久しぶりに『2199』を観ました。ブログを一時休止した理由の一つに「『ヤマト』を観る時間さえない」ことがあったので、よい機会でしたね。

さて、意外だったのは、あれだけ「面白く素晴らしいが泣けない作品」と評してきた『2199』を観て、私が大号泣したことです(笑)。

これは10代~20代初めの私から、26歳となった現在の私の間に何らかの変化があったことが要因でしょう。ただ、それはここでは深堀りしません。

今日は、私が号泣した理由について、作品にフォーカスして考えていきます。

私が大号泣したのは『2199』第20話、七色星団の戦いでした。

その理由はいたってシンプルです。

『2199』第20話で描かれている、

  • 失いたくない仲間がいること
  • 人生を共にする仲間がいること
  • 互いを認め合うライバルがいること

その全てが当たり前でなく、尊いことであると分かったから、泣いたのです。

 

最近、ようやく私が感じ取れるようになったのは、「死の直前に思い出す人やものがあること」の尊さです。

死の直前に恋人や家族を想う人は「無敵の人」ではありません。その人には「まだ生きていたいと思う理由」があります。生きていたいのに、死んでしまう。それはとても悲しいことですが、反面、幸福でもあります。

メ号作戦で「おかあさん」と手を伸ばした少年は、「母さん」と叫んだ小橋は、赤道祭の思い出と共に出撃した大工原は、死への覚悟を決めた軍人であっても、「生きて帰る理由」を持っていたのです。そのことが、とても悲しい。

 

例えば、ドメルは死の直前、何を思ったのでしょう。家族のことだろうか、祖国のことだろうか、共に生き、共に死ぬ仲間たちのことだろうか……。本編で描かれてはいませんが、このままでいいと思います。ドメルが死の直前、何を思ったのか。これは観客それぞれの答えを持てば良いでしょう。

 

ところで、ここには『2199』のよいところが隠れていると思います。

『2199』は七色星団の戦いを再解釈してリメイクしたわけですが、七色星団戦を通じたドメルのドラマにはほとんど手をつけていないのです。妻を新キャラとして登場させたり、幼くして亡くなった子どもがいる、との設定を追加したのに、です。ドメルのドラマそのものはアップデートしつつも、安易に七色星団戦にそれを持ち込まなかったことで、『2199』は旧作のリメイクとして、正統派であることができたと思います。

一方で、七色星団戦を通じて、旧作のサブキャラクターたちには多くの人間ドラマを与えました。死の直前にドメルを想ったゲットー、祖国ザルツを想った442特務小隊、家族や恋人を想う航空隊クルー。こうして、戦争を描く人間ドラマとしてのアップデートを図りつつ、旧作で描かれていない人気キャラクター・ドメルのドラマには手を加えない。このバランス感覚が、『2199』七色星団戦を傑作たらしめていると思います。