ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

なぜ『宇宙戦艦ヤマト』の復活を願うのか

こんにちは。ymtetcです。

前回「ヤマトが終わった作品になってほしくない」と書きましたが、別に「終わった作品」になってもいいじゃないか、とのご意見もあろうかと思います。

ただ、私はあくまでも、『宇宙戦艦ヤマト』には再び「社会」へと返り咲いて欲しいと願っています。

 

それは、コンテンツとしての『宇宙戦艦ヤマト』が復活することそれ自体が、『さらば宇宙戦艦ヤマト』のドラマ構造と似ているからです。あの展開にワクワクする私のヤマトファンとしての感性が、「再び『ヤマト』が社会に返り咲いてほしい」との願いを生み出しているのです。

かつて社会現象を起こしながらも、一部の人間を除いて、今やほとんど見向きもされなくなっている『宇宙戦艦ヤマト』。この姿は、『さらば宇宙戦艦ヤマト』における宇宙戦艦ヤマトの姿と重なります。私たちヤマトファンは、さながら旧乗組員たちのよう。

現在『宇宙戦艦ヤマト』が社会の注目を集めないのは、社会が『ヤマト』を必要とする状況ではなく、また、アンドロメダのような『ヤマト』に代わる存在が多数あるためです。

ここから再び『ヤマト』が社会に返り咲けるとするなら、それは社会が『ヤマト』を必要とした、ということです。

それはさながら「ねぇヤマトは?」の名シーンの再現。私は、これ以上に熱いドラマはないと思います。

ただ、そのためには、常に『ヤマト』が「社会に必要とされる作品」であり続けようとする姿勢が欠かせません。その点において、実際の作品はともかくとして、福井さんの「時代性に着目するアプローチ」を私は支持しています。これは作家が代わったとしても、なくしてほしくない姿勢ですね。