こんにちは。ymtetcです。
先日公開された、某シリーズ映画の新作を観ました。こちらは時間が経ったら記事にするかもしれません。
さて、今日は3月2日に公開した記事「「巻き込まれない」ヤマトらしさ」の続編です。この記事では、「巻き込まれない」こと、すなわち自らの意志でヤマトに乗り込み、地球人類を救うために戦うことが「ヤマトらしさ」の一つを構成しているのではないか、と考えました。今日はそれに加えて、「不確かなものに賭ける」こともまた「ヤマトらしさ」なのではないか、と考えてみたいと思います。
ではなぜ、「不確かなものに賭ける」ことが「ヤマトらしさ」と言えるのか。それは劇中のキャラクターたちの「不確かなものに賭ける」行動は、直面する危機に対する切実な想いによって導かれたものだからだと私は考えます。
〇『宇宙戦艦ヤマト』は「ヤマトが地球人類を救う」物語
まずは『宇宙戦艦ヤマト』作品に共通する、ある要素をピックアップしてみます。
『宇宙戦艦ヤマト』作品は、『新たなる』や『2520』といった例外を除いては、基本的に「地球人類を救うこと」が物語のゴールに位置づけられていました。『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの作品は、基本線としては「ヤマトが地球人類を救う」物語なのです。
そして、その過程で主役となるのが「宇宙戦艦ヤマト」という存在です。
〇不確定要素の多さ
そのことを踏まえてシリーズ作品を振り返ってみると、ヤマトが地球人類を救う過程には、多くの不確定要素が配置されていると分かります。
例えば、最初の『ヤマト』でイスカンダルからのメッセージを受け取った時も、その時点では本当にイスカンダルが地球を救ってくれるのかは分かりません。また『さらば』でも、実際に宇宙の危機があるかどうかは分かりません。『Ⅲ』でも、第二の地球が存在しているかどうかは分かりません。
ここでは、ヤマトが飛び立つ根拠がとても不確かなものになっています。
またヤマトは、多くの場合テストをしません(笑)。ぶっつけ本番でやります。「テストは?」と問われれば「そんな暇あるか」と返すのが『宇宙戦艦ヤマト』なのです。
アストロバイク
シームレス戦闘機
空間磁力メッキ
アステロイドシップ
亜空間ソナー
対ハイパー放射ミサイル防御装置
といった数々のひみつ道具をあらかじめ用意していたり、一目見ただけのヒントから開発していたり(但しテストはしていない)、
そこでは、物語の持つ切実さが描かれていると言えます。テストをしてトライ&エラーを繰り返す、そんな時間的猶予は『宇宙戦艦ヤマト』世界には存在しないのです。物語が進行する間、常に地球人類は滅亡の危機にさらされているのであり、ヤマトは地球人類を救うために、一刻も早く行動を起こさなくてはなりません。テストをしていなくても、ハイパー放射ミサイルは迎撃しなければならない。ヤマトは、常にギリギリの状況に置かれています。だから、不確かなものでも「賭け」に出なければならない。
その「らしさ」は、実写版にも『2199』にも『2202』にも、形を変えて受け継がれています*1。
「誰かがこれをやらねばならぬ」「沖田は賭けに勝った」「たとえ不確かでも、それに賭けねば勝てぬ戦もある」……。地球人類を救うために「~しなければならない」という切迫した状況があって、キャラクターたちは不確かな活路に賭けていく。そして、その賭けに勝ち、地球人類を救う。そんな切実さ、切迫感、ギリギリ感もまた、「ヤマトらしさ」なのではないでしょうか。
これからの『宇宙戦艦ヤマト』にあってもこの感覚を忘れないことが、より新作を「らしく」していくことに繋がると私は思います。
〇テレビアニメ『月がきれい』(2017年春)を観た
テレビアニメ『サクラダリセット』に対して、私は
彼ら彼女らの振舞いは”リアル”な人間とはあまりにかけ離れていますが、その内面にあるものはとても純粋で、等身大の中学生であり、高校生。
と書きました。だったら、もっと等身大の中学生を描いたアニメを観ておこうと思い、今回は『月がきれい』を視聴しました。
結論から言えば、たいへん出来がよかったです。2019年以来、勉強のつもりで色々な現代のテレビアニメを観てきましたが、私の個人的な好みとしてはトップクラスの作品だと思います。
本作については『宇宙戦艦ヤマト』の話題が私の中で途切れてきた頃に、サブブログを使って考えをまとめる予定です。