【第二章雑感】『ヤマト3199』は”後味がいい”
あけましておめでとうございます。ymtetcです。
前回の記事にあたたかいコメントをいただきました皆様、ありがとうございました。
今年は少しずつでも、ブログを更新していきます。
さて、今日のテーマは、『ヤマト3199』第二章の後味です。正直、ハッピーエンドとは言い難いもので、後味悪く感じた人も、いらっしゃったかもしれません。
ただ、ハッピーエンドではないにせよ、私はどこか”後味がいい”と感じました。
今日は、その理由を考えていきます。
私が『3199』第二章を観て、後味の良さを感じたのは「たとえ古代進がどん底にいたとしても、ヤマトは負けない」ことが描かれていたからです。
〇古代進の敗北
『3199』第二章の古代進は、十分に、宇宙戦艦ヤマトの一員となれずにいます。雪を失って「愛する人を失う」恐怖を思い出したのか、無垢なサーシャの姿を見て明日への希望を見失ったのか、私にはまだ分かりません。
ともあれ、古代がヤマトの一員となれずにいたさなか、アルフォンの襲撃が発生します。結末は、最悪。サーシャは新見さんと共に、デザリアムに誘拐されてしまいます。古代にとっては、『2199』における雪の誘拐を思い出すトラウマでもありましょう。
古代がアスカからとっさにヤマトに戻る判断をしたのは、あるいは『2199』の時の雪の誘拐という経験があったからかもしれません。しかし、結果からいえば失敗。古代は後悔していると思います。「初めから、自分がヤマトに残っていれば」と。
〇「古代進の宇宙戦艦ヤマト」は旅立てなくても
第二章の古代はヤマト艦長として、さらにいえばヤマトクルーとして、失格です。時空結節点に向けて旅立つ山南艦長の「沖田艦長らしい」決断は、本来であれば”古代艦長”が下すはずのものだったでしょう。雪という”守るべきもの”がなければ、古代もあの場に残り、同じ決断をしていたと思います。
しかし、『3199』現在の古代には、それを選ぶことが難しい。古代進は、宇宙戦艦ヤマトを旅立たせることができない。その意味で、古代は、旧来型の『宇宙戦艦ヤマト』の主人公としては、完全に失格だと考えます。
そんななか、私が勇気づけられたのは、サーシャと新見さんを失ってもなお、ヤマトが、ヤマトクルーが動き続けていたことです。特に、サーシャと新見さんを失ったショックが人一倍大きかったはずの真田と桐生が、全天球レーダー室の完成に向けて懸命に取り組んでいる姿にはグッときました。
どんなに悲しく苦しい状況だとしても、「誰かがこれをやらねばならぬ。期待の人が俺たちならば」。古代進が同じことをできない状況だからこそ、他のヤマトクルーのもつ『宇宙戦艦ヤマト』のメンタリティが鮮明にうつりました。古代進が動けなくても、ヤマトは負けない、終わらない。そんなメッセージが、そこには見えた気がします。
さらに、その姿に重なるように流れた第二章エンディングテーマは、作詞・小野大輔による「古代進の歌」でした。古代進が動けなくても、ヤマトは負けない、終わらない。そして、古代進も、きっとそこに帰ってくる。
このように、絶望的な状況のなかでも、かすかに希望が見えたのが、第二章のラストシーンだったと私は思います。だから、私は、第二章のラストを見て”後味がよい”と感じたのです。