【第二章雑感】『ヤマト3199』は”面白い”!
お久しぶりです。ymtetcです。
長らく行方不明となっており、申し訳ありません。
2024年のymtetcに起きた変化を列挙すれば、それだけでエッセイブログが書けてしまいそうですが、それは皆さま、興味がないと思いますので……。
ともあれ、『3199』第一章は劇場公開期間の終わりごろに滑り込むのがやっと、第二章にいたっては、劇場での鑑賞はかなわず、公開期間終了後の今になって、デジタルセルで鑑賞。それだけの変化が起きた、とだけ、書いておきます。「『宇宙戦艦ヤマト』はライフワーク」と考えていた大学生の頃が、何もかも皆懐かしい。
さて、本日はymtetcが、『ヤマト3199』第二章までを観てどう感じたのか?を書いていきます。実は、第一章までの感想は……というところも含めて、書きたいと思います。
第一章でのブログ再開を模索したが……
実は私は、『3199』第一章でのブログ再開を考えていました。驚くほどに”書きたいこと”のない時期を過ごしてきたのですが、それはあくまで公式からの「供給」がないからだと考えました。『3199』第一章が公開されれば、また書くこともある、と。
ところが、それは立ち消えとなりました。
なぜなら、第一章に対する私の感想は、極めて厳しいものだったからです。
こちらについては、今日は深入りを避けたいと思います。
第二章は”面白い”!
私にとっては、あまり”面白い”とは言えなかった第一章。ここから反転して、第二章は、率直に”面白い”と感じる作品でした。
というのも、第一章と異なり、第二章は予測の難しい展開が続いたからです。
『ヤマト3199』は、旧作『ヤマトよ永遠に』と『ヤマトⅢ』、そして、その両作品を知る旧来のファン心理を上手く利用して、物語を予測の難しいものとしています。
旧『ヤマトよ永遠に』における「びっくり箱」は、敵だと思っていた異星人が実は未来の地球人だった!というもの。もちろん、それは偽装工作なのですが、彼らが未来の地球人を名乗り、地球の音楽を流し、ヤマト沈没の歴史を描く一連のシーンは見応えがあり、その後のグロテーズとの戦いまでを含めて、『ヤマトよ永遠に』における見せ場の一つとなっています。
これに対し、『ヤマト3199』は、デザリアムが「未来の地球人」を自称していることを「びっくり箱」にせず、物語の前提として提示します。すなわち、『2205』で敵だと思っていたデザリアムは、「未来の地球人」を名乗り、一部の地球人と協力している……ことから『3199』の物語が始まるのです。
しかも、第二章を通じて、どうやらデザリアム人たちは、本気で自分たちのことを「未来の地球人」だと考えている様子。騙す気まんまんで偽装工作を行った旧作の暗黒星団帝国とは、どうもワケが違いそう。
ここに、『ヤマト3199』の面白さがあります。つまり、旧作を知っているからこそ、先が読めないこと。これが『3199』の面白さなのです。
一方、まだまだ旧作通りの展開の余地も残されています。「マザーデザリアム」がデザリアム人に「自分は西暦3199年の地球人である」と信じさせている可能性です。コムメダルは人の心や認知にも左右するようなので、この可能性は大いにあるでしょう。
ただ、その場合、問題となるのは「ではなぜ、デザリアムは地球へ侵攻したのか」です。そこに福井ヤマトらしい「人間賛歌」が隠されていると考えます。
現時点では、良いとも悪いとも評価の難しい『3199』ですが、『2199』『2202』同様、第三章から独自色を全面に打ち出してくるでしょう。楽しみですね。