こんにちは。
最近ヤマト界隈で「嫌なら観るな」という会話が交わされているのを目にしました。
この「嫌なら~」という構文、使ってしまいたくなる気持ちはとてもよく分かりますし、こうして今日この言葉を批判する私自身も、使いたくなったことは何度もあります。
記憶にないだけで、使ってしまったこともあるかもしれません。
熱狂的なファン、あるいは作り手からすれば、自分達の愛している作品に対して、わざわざ毎回お金を出して毎回批判を繰り広げている、そんな人を見ると、こう言ってしまいたいという気持ちは必ず湧いてくるものです。
しかしこの構文は、売り上げが未来を左右する商業作品全体においてタブーであるだけではなく、特に宇宙戦艦ヤマトというコンテンツにおいては、使って欲しくないと筆者が今考える構文であります。
それはなぜか? なぜヤマトでは特にやめて欲しいのか?
ここで、筆者の個人的な願いを述べておきたいと思います。
- 将来『2199』世代でもう一度ヤマトをリメイクしたい――
これは私の個人的な願いであり、夢です。これに賛同できないという方もいらっしゃるでしょうが、是非一個人の意見として読み進めていただければと思います。
ここで言う2199世代とは、『2199』が“初めてのリアルタイム・ヤマト”だった世代という意味です。そもそも2199とは、1970年代に大ブームを起こした宇宙戦艦ヤマトをリアルタイムで経験した世代の人々がスタッフとなって作られた作品です。
だからこそ、2199をリアルタイムで経験した世代がもう一度『ヤマト』をリメイクする日が来れば……と私は夢見ています。それは、2199で旧作世代の方々が今に繋いでくれたバトンを、未来に繋ぐことに他ならないことだからです。
それでは、今日の本題に入りましょう。
私は2199‐2202を作り上げた旧作世代の主要スタッフの方々にあったものは、以下の二つのエネルギー(情熱)だと考えています。
- 旧作を尊敬するエネルギー
- 旧作を批判するエネルギー
前者は、旧作の「何が素晴らしかったか」を捉え、作品に反映させるエネルギーです。このエネルギーは、旧作の良い部分を新作(リメイク版)に反映させることができます。
そして後者は、旧作の「何がダメだったか」を捉えて反映させるエネルギーです。このエネルギーは、旧作の良くなかった部分、新作として通用しない部分を改良して、新作を旧作よりもよりよい作品とするために必要なものです。
私のお話したいことは、もうお分かりでしょう。
旧作を2199‐2202に、新作を「2199世代の作るヤマトリメイク」に置き換えてみてください。
2199‐2202を絶賛するエネルギーも、批判するエネルギーも、
次世代のヤマトに必要なエネルギーだということが分かります。
ですから、特に若い世代のヤマトファンに対して「嫌なら観るな」というのは、やめて欲しいと私は思っています。その若いファンがヤマトファンである限り、彼ら彼女らは次のヤマト新作を担う人間なのかもしれないのです。
そして、若い世代のファンにとっては、ヤマトは「ヤマトだから観る」というものでは必ずしもないということを理解して欲しいと思います。
ヤマト新作に対する若い世代の批判的なファンというのは、面白くないにもかかわらず「ヤマトだから」(あるいは2199の続編だから)という理由で観ているという、非常に貴重な層なのです。
彼らを否定することは、ヤマトの未来を狭めることに他なりません。
“旧作も好きだ。2199も好きだ。2202も好きだ。だからこういうリメイクが良い”
“旧作は知らない。2199が好きだ。2202は好きじゃない。だからこういうのが良い”
“旧作が好きだ。2199は悪くないがイマイチ。でも2202は好きだ。だからこれが良い”
これらは例ですが、こんな多様なファンがいて、良いのです。
このような多様なファンがいて、その意見がせめぎ合ってこそ出渕さんが目指した“最大公約数”のヤマトに、少しずつ近づくのではないでしょうか。
批判するなら観るな、というのは簡単です。しかし、批判する人間がいるからこそより面白い新作が生まれるとも考えられないでしょうか。
特に若い世代のヤマトファンの、新作を褒め、批判する機会を奪って欲しくない。
復活篇が、2199が、2202が、せっかく甦らせたヤマトです。
過去から今へ繋いできたバトンを、未来へと繋ぐこと。
そのために必要なことだと思って、どうか若い世代のファンに「そんなに言うなら観ねーよ」と言わせない環境作りをしてみませんか。
と、宗教じみた上から目線で、演説を繰り広げてみました。
私自身は偉い人間でも何でもないですが、
どうか、この事件で同じ世代のファンに去ってもらいたくないという自分勝手な思いから、この記事を書きました。
何か皆さんが考えるきっかけになれば幸いです。