ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【アクエリアス・アルゴリズム】新しい旧作との向き合い方

こんにちは。ymtetcです。

宇宙戦艦ヤマト 黎明篇 アクエリアスアルゴリズム』は、『ヤマト』が西﨑義展さんの手を離れた新しい時代にあって、初めての旧作『ヤマト』でした。だからこそ見えてきた、新しい旧作との向き合い方もあると思います。

今日は、これについて考えていきます。

私は、『アクエリアスアルゴリズム』のキーワードは「保」だと考えています。『アクエリアスアルゴリズム』が示した、新しい旧作との向き合い方。それは保存であり、保持であり……保つことです。

宇宙戦艦ヤマト2』以降の作品、いや、むしろ『さらば』以降の作品は、時に「ファンタジー」や「ご都合主義」と批判されることもありました。その傾向は、直線的ではないにせよ作品を追うごとに高まり、『ヤマト』批判の一つの軸となっていったと私は理解しています。

そして、「ファンタジー」「ご都合主義」に対する一種のアレルギー/トラウマは、少なからず、『ヤマト』冬の時代を生き抜いてきた『ヤマト』ファンの中にもあると考えます。

リメイク版『2199』が、旧作をアップデートするにあたってSFと科学を重視したことは、『2199』の高評価ポイントの一つとなりました。一方、リメイク版『2202』が旧作をアップデートするにあたってSFと科学を重視しなかったことは、『2202』が批判を受けたポイントの一つとなりました。

旧作に存在した「ファンタジー」「ご都合主義」を、半ば否定して”改良”するのか、むしろその大らかさこそ「らしさ」であるとして、継続するのか。非常に大雑把に言えば、そんな二項対立に近いものが、リメイクシリーズにはありました。

 

それでは、旧作『ヤマト』の新作である『アクエリアスアルゴリズム』は、旧作の「ファンタジー」「ご都合主義」的要素にどう向き合ったのでしょうか。

アクエリアスアルゴリズム』のアプローチは、これまでの『ヤマト』にはなかったものでした。

アクエリアスアルゴリズム』は、「ファンタジー」「ご都合主義」とされてきた要素(巨大な女神の語りやモノの擬人化、”こんなこともあろうかと”的活躍)をSFと科学の中に落とし込み、語っていったのです。

まずは、「ファンタジー」「ご都合主義」以外の要素をSFでしっかりと固める。これは『2199』的アプローチと言えます。

しかし、旧作で起きた出来事はしっかりと継承する。本作では、『完結編』で出現したアクエリアスの女神について、言及される場面もありました。

そして、旧作で起きたような出来事が、作中では再び起こる。死者が語りかけてくるような描写や、ヤマトに命があるかのような描写。これは、あくまで一種の”不思議な出来事”として語られていきます。

アクエリアスアルゴリズム』は、旧作の「ファンタジー」「ご都合主義」を、リアルな世界の中でも時々起こる”科学では説明がつきにくい不思議な出来事”のように描くことで、「現代風にアップデートされた旧作『ヤマト』」というスイートスポットを見つけ出したのではないでしょうか。

こうすることで、旧作に対する見方を変えていくことにさえ、成功していたと考えます。

「あなたもあのとき誰かの声を聞いたんでしょう?」

(高島雄哉著、アステロイド6協力『宇宙戦艦ヤマト 黎明篇 アクエリアスアルゴリズムKADOKAWA、2021年、316頁。)

もちろん、この手法をリメイクシリーズが踏襲する必要はありませんが、ヒントになることもあります。

例えば『2202』は、第25話でテレサが出現する理由に説明を与えて真田に語らせました。ですが、『アクエリアスアルゴリズム』的アプローチなら逆のやり方ができます。

すなわち、むしろテレサが出現する以外の部分をSF的、科学的に固め、肝心のテレサ出現に関しては理由を説明しない、とするのです。

こうすると、あのテレサ出現は、リアルな世界の中の”不思議な出来事”として描くことができます。『ヤマト』の前に巨大なテレサが出現する現象は、『アクエリアスアルゴリズム』にとってのアクエリアスの女神もそうだったように、なかなか現代の科学で説明することが難しいものです。だからこそ、そこは”不思議な出来事”として保持しつつ、それ以外のところでリアリティを高めておけば、旧作の出来事を保ちながら、観客に「リアルだ」と感じさせることができたかもしれませんね。