旧作ヤマトシリーズを振り返る時に、こんな評価がしばしば下されます。
「毎回宇宙の彼方から敵が攻めてくる」
「マンネリ」
今日は、ヤマトの戦う「敵」の動機から、これらの評価について考えてみたいと思います。
まず、ヤマトの戦う敵の動機は、大きく二つに分けられます。
◯生存目的
◯国益目的
前者にあたるのは「ガミラス帝国」「暗黒星団帝国」「ディンギル帝国」です。
後者は「白色彗星帝国」「SUS」あたりでしょうか。
例外として、地球に対する侵略者ではないという点で「ガルマン・ガミラス帝国」「ボラー連邦」を挙げておきましょう。
『ヤマトⅢ』において地球は両国の戦争のとばっちりを受けます。そして危機に陥った地球を救うため、ヤマトは戦争に介入します。
また『新たなる旅立ち』も同じように、イスカンダルを救うため地球サイド(ヤマト)から介入するというスタイルをとっています。
上記2作品は「宇宙の彼方から攻めてくる」という構図ではありません。
こうして見ると「宇宙の彼方から敵が攻めてくる」という構図こそ、ヤマトの基本だということが分かります。
一方で、それ以外の構図を取っている2作品、特にヤマトⅢの特異さが際立っているのではないでしょうか。
ヤマトⅢはタイムリミット方式を取ったことなどから「第1作への原点回帰」とも言われています。
ですが、実は第1作とは異なるアプローチを採用した意欲作なのかもしれません。
また、意欲作としてもう一つの作品を挙げておきましょう。
復活篇です。
復活篇もまた、第1部はこれまでの「宇宙の彼方から敵が攻めてくる」を踏襲したものでした。
しかし第2部以降では、失われた地球を追ってヤマトが旅をするストーリーだったようです。
第1部が旧作を踏襲し、第2部以降で革新的なストーリーをする。つまりはそんな作品だったと言えるかもしれません。
こうしてみると、ヤマトシリーズとはかなりマンネリ化しているような気もします。
ヤマト人気を復活させたリメイクシリーズに目を向けても、結局は同じ構図なのですから。
ただし一点、指摘しておきたいことがあります。
2199では、ガミラス帝国の侵略動機が、上記の区分では前者から後者へと変わっているのです。
2202では、ガトランティスの侵略動機は国益目的ではなく「種の天命」と位置付けられます。
是非はともかく、侵略動機に関してはそれぞれの作品は共に旧作から変更されています。
いずれにせよ「敵が遠くから攻めてくる」という構図は変わりません。
この点から言えば、ヤマトシリーズをマンネリの波から救い出すことの出来る作品は限られてきます。
◯ヤマトⅢ
◯復活篇
(そして上記では指摘しなかった)
◯YAMATO2520:ヤマトⅢに近い
この3作でしょう。
私がヤマトシリーズの未来としてヤマトⅢ、復活篇のリメイクを熱望する理由の一端もここにあります。
実は今日「ヤマトシリーズはマンネリ化してない!」と結論づけるつもりで書き始めました。
すると案外、マンネリ化していることがわかりました(笑)
ですがその代わりに、マンネリ化を脱するヒントとなるであろう3作品が際立ってきましたね。
また、2199の出渕裕総監督が意欲を示しておられた「内惑星紛争のスピンオフ」なども、ヤマトに新たな可能性を与えてくれるアプローチでしょう。
「ヤマトとはピンチの連続だ──」というのは、先日鈴村健一さんがお話しされていたことです。
私は、それこそがヤマトの本質であって「敵が遠くから攻めてくる」ことはヤマトの本質とはあまり関係ないのでは、と考えます。
2202が無事ヒットし、その続編が取り沙汰された暁には「旧作リメイク」という枠組みに囚われず、新しいヤマトを目指してほしいものですね。