ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「好み」で許せるラインを引こう

◯はじめに

こんにちは。ymtetcです。

終戦記念日ですね。

リメイクヤマト的には島君の誕生日ですか。誕生日設定が為されたのは歓迎すべきことなのですが、2199の誕生日設定は「それってどうなの?」という日付ばかりなのがすごく引っかかってます。

それはさておき、今日はアンドロメダの量産というテーマを通じて、個人的な「好みで許せるライン」について考えてみましょう。

 

アンドロメダ唯一無二論

アンドロメダの量産には多様な議論があると思います。よく耳にするのが「アンドロメダは唯一無二」であるという意見です。

本ブログでもそのような意見を頂きました。

ymtetc.hatenablog.com

そんな意見に対して私は、以前のこの記事で「趣向の相違」と結論付けています。

言い換えれば「好みの問題」ということ。

「好みの問題」という表現は私がよく使う表現の一つです。

しかし結局のところ「好み」とは何か?

いまいちよく分かりません。

私の使う「好みの問題」とはどのようなものか、どこまで適用されるのか、今日は自分自身に問い直してみたいと思います。

まず私は、この「アンドロメダ唯一無二」論について、間違いだとは思いません。

何故ならば、『さらば』のアンドロメダは客観的に見ても唯一無二だからです。

新生地球防衛艦隊の旗艦。波動砲を二門備えた、ヤマトを凌駕する新型戦艦。

『ヤマト2』の「ヤマトVSアンドロメダ」という構図を経なくとも、ヤマトと対置される存在であることは明白。何隻もいては、その姿がぼやけてしまうでしょう。

〇私の「好み」は

しかしながら例によって、この意見は「好み」ではありません。

何故ならば、旧作を絶対化し、アンドロメダの唯一無二性に拘泥することは、新作であるリメイクシリーズの可能性を狭めることに他ならないからです。

(逆に言えば、アンドロメダ唯一無二と量産を相対化して議論した末に「唯一無二」を採用することは是であると思いますが。)

ちなみに、厳密な私の好みでいけば、「ヤマト2のセリフを元ネタに量産するのがメカ的にも革新的で面白い」となります。

◯私の「好み」のライン

「厳密な私の好み」でご紹介したように、メカの領域で革新的意欲的なデザインを見たいという思いは私自身にありますが、一方で、長いシリーズものの新作メカに最も欠けてはならないのがオリジナルメカとの妥協だと考えます。

この「デザインを見たい」と「シリーズ作品の中の妥当性」の狭間に(私の)好みのラインがある、と考えました。

◯デザインは好きだ

私自身の「デザインとしての」好みでは、ヤマトカラーのアンドロメダも、ガミラス空母型も、髑髏アンドロメダも好きです。

ただしこれは、「デザインとしての」話。飛ぶ理由で登場するだけなら絶賛でしたが……

◯シリーズ作品の「壁」

ヤマト2202は、「さらばリメイク」であり「2199の続編」です。

この2つの要素は本来2202の革新性を制限する存在。この枠組みの中で、いかに革新的なものを生み出していくか、そこがシリーズ作品のクリエイターに求められる仕事です。

近日「アニメ音楽」を題材に似たような話をしたいと思っていますが、この「壁」と革新性の折り合いをつけていくのがシリーズ作品特有の面白さを生むのです。

◯「壁」を無視してはいけない

2202メカに対する小林誠のアプローチは、この「壁」を無視しているような気がします。

彼のメカニックが作品を支配すること、それ自体に問題はないと思います。

しかしその過程では、さらばリメイクとして、2199の続編としての2202メカが「あるべき姿」という「壁」との折り合いをつけなければなりませんでした。

それどころか、彼はそれを無視していると思います。歯止めが効いていないんです。

◯デザインは自由だ

繰り返しになりますが、アートとしてのデザインは自由です。

お経を書こうが聖書を書こうが、何でもあり。

私の好みでいっても、お経以外はほとんど好き。

しかし、シリーズ作品の新作に出すメカニックとなると別の問題が生じます。

◯アポロノームまでは許せる

それが、前述の「壁」です。

シリーズ作品の新作としての「妥当性」とも言えるでしょうか。

そこを踏まえて、私の許せるラインを引いてみると、アポロノームまでが許せると考えます。

カラーリング的にも、デザイン的にもです。

それ以外のバリエーションは、デザインとしては面白いですが、シリーズ作品の新作として妥当であるとは思えません。

アポロノームよりはアクエリアスの方がいいなぁと思ってみたり、「好み」も色々と錯綜していますが、今日のところはここを許せるラインにしておきたいと思います。

◯クリエイターの敵といかに戦うか

今日重要なことは、シリーズ作品としての妥当性という「壁」、クリエイターの敵でもある「壁」の存在です。

本来自由であるはずのクリエイターに対して、その創作活動を制限する「壁」。そこといかに戦っていくか、その枠組みの中でいかにオリジナリティを出していくか。

そこが面白いのですが、2202ではそこが無視されているように感じられます。