こんにちは。ymtetcです。
今日は引用から参りましょう。
─福井さんは初めて西﨑さんにお会いした時、どんな印象でしたか?
福井:この仕事をしていると、大勢の人たちにお会いします。しかし、出版社であったり映像制作作会社であっても、やはり日本の企業。サラリーマン社会の中である種出世してきた人たちは、その会社ごとに似たような色が出てくるんです。けどこの社長(西﨑さん)の場合は、そんな経緯をまったく経ないで来られた方じゃないですか。いうなれば自分の腕一本でここまで来たタイプなので、それは緊張しました。下手なことは言えないなって。企業家としても、経済原理を満たしていることだけに価値を見いだしているタイプではないので……。言わば面倒臭いタイプです(笑)。ある種、自分の美学と信念と哲学みたいなものがあってそれをある程度満たさないとOKを出さない。そこを見極めないといけないなというのがありました。
太字にしている部分が、今回の記事で大切な所です。
経済原理を満たしていることだけに価値を見いだしているタイプではないので
まず、ここから読み取れるのは「ビジネスだけでやっているのではない」という、西﨑彰司氏の、製作総指揮としての性格です。
西﨑彰司氏は先代西﨑義展氏と養子縁組を結んで「西﨑」を名乗っています。
その養子縁組の意図を「どうせビジネスだろう」と批判的に考える人もいるでしょう。
ある意味この福井発言は、結果的な偶然ではありますが、その反論になっているとも言えます。
それは別にして、そもそもの福井発言はこの場で「西﨑彰司氏を褒める」という文脈の発言であることは間違いありません。
確かに「ビジネス=お金儲けだけを考えてやっているのではない」と聞くと、「情熱のある人なんだな」と、好印象を抱く方も少なくないのではないでしょうか。
しかし私はむしろ、この福井発言で不安になりました。
逆にこれまで西﨑彰司氏については、「ビジネスでやっている人なんだろう」という勝手なイメージから、高評価を下していました。
何故ならば、純粋にビジネスで作品を作る=「お金儲け」だけを考えた時、「ヤマト」というコンテンツは「ヤマトファン」の方を向くしかない、内向きなコンテンツだからです。誰を主題歌にしたとか誰を声優にしたとか、簡単なビジネス操作でファン層を入れ替えられるコンテンツではありません。
主な購買層はかつてヤマトに熱狂した世代の人々であり、現在沢山のお金を持っています。よって、彼らに支持される作品を作ることがすなわち「お金儲け」に繋がるんです。
もちろん、「経済原理を満たしていることだけ」の「だけ」部分に現れているように、彰司氏も「お金儲け」を度外視している訳ではありません。
ただし、彼自身の感性から作品が逸脱することは許されません。
自分の美学と信念と哲学みたいなものがあってそれをある程度満たさないとOKを出さない
この福井発言は、まさにそのことを示しています。
制作総指揮の感性が作品を規定するのは当然のことかもしれません。
しかし、制作において絶大なイニシアチブを握っていた西﨑義展氏が(大変残念な形ではあったものの)一線を退いたことは、
かえってその後の制作現場を、従来とは異なる自由な環境に変えたと思っています。
その点から言って、2199よりも更に強力な形で「製作総指揮」西﨑彰司氏の感性が作品に関わっているとすれば、これに不安を覚えてしまうのです。