ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

星巡る方舟(劇場公開版)の作画崩壊と、2202の作画崩壊における決定的な違い

こんばんは。ymtetcです。

作画崩壊」というと、失礼に当たるかと思います。

ただ、他に充てる単語もなかったので。「微妙作画」とか、しっくりこないし。

目次

 

現在観られる「星巡る方舟」は作画修正版

まず確認しておきたいのは、現在私達が手にすることが出来る「星巡る方舟」(以下、「方舟」)は、作画が修正されたバージョンであるということです。

星巡る方舟 (ほしめぐるはこぶね)とは【ピクシブ百科事典】

私が「劇場公開版」すなわち「作画未修正版」を見たのは、2014年12月の劇場が最後なので、実際の所はどうだったかよく覚えていません。上記ピクシブ百科事典の記述を見ると、特に作画がおかしかったのはホテルシーンだったようですね。

ただ、観ていて「第七章25話ほどじゃないけど、苦しそうだなぁ」という印象を抱いたのはよく覚えています。

2202の作画レベルが最も低かった回

さて、あくまで私の主観で言えば、2202の作画レベルは全体的に2199より劣ります。(もちろん未完成で上映した2199の方がプロの仕事としてはダメなのですが、最終的な作品の完成度としては2202を大きく上回っているでしょう。)

特に、客観的に見ても作画レベルがマズかったのは第三章だと思います。スケジュール管理の結果なのか、第二章・第四章・第五章がそれなりに安定した作画をしているのに対し、第三章は突出してレベルが低かったと思います。

 「星巡る方舟」の作画崩壊

先述したように、「方舟」の作画も褒められたものではありません*1

しかし、「方舟」の作画は、あくまで「劇場版として、普段とは違う作画にチャレンジしているが、上手くできなかった」というものだったと思います。ガトランティスとの最初の邂逅における古代君の動き、カメラワークなどは明らかに、劇場版の「よく動く」作画を念頭に置いていましたよね。つまり、劇場で上映するに足る画面作りを目指して、その上でうまくいかなかったのです。

2202の作画崩壊

一方で、2202の作画は「妥協」しているとの印象を受けます。カメラも必要以上には動かしませんし、キャラクターのアップ絵や、使いまわしも(2199に比べ)多用しています。

劇場版ではなくテレビアニメだから、という理由付けも当初は出来たのですが、全国放送のないローカル放送となってしまったために(劇場公開は全国公開に近い)、全国的には「劇場公開」としての側面が強くなってしまいました。

とすれば、2202のクオリティは劇場公開に耐え得るものではないとして批判の対象となってしまいます。

 

まとめ――違いは何か

このような「方舟」と2202の違いは、監督の違いにあると思います。

クリエイターとして芸術作品に細部まで拘りたい出渕総監督と、アニメーター出身の「アニメ監督」として制作の現実(納期・労働環境など)を重視する羽原監督との違いでしょう。

2199ではスケジュールに余裕があるうちは絵の使い回しもほとんど行いませんでしたし、静止画を動画に見せるエフェクト*2も終盤まで使われませんでした。出渕総監督の拘りが見て取れます。

しかし、例えば羽原氏が担当した2199第19話では、アップ絵が普段よりも多めに使用され、コスモファルコンの発艦シーンでは第5話のCGが使用されました*3。これは、2202の作画方針との連続性が見て取れます。

これらに客観的な優劣はありません。

しかし、後者の「妥協」というのは少し寂しいものがありますよね。

最後に補足しておけば、羽原監督が「妥協したい」と思ってこうなっているのではありません。監督も、やれることはやりたいはず。

リソースという現実があり、スケジュールがあり、という中で、「必要以上に現場へ負荷をかけたくない」という気持ちがあるのだと思います。

また、2202でも第六章は、これまでより「妥協」していないかもしれません。何故ならば、早々に切り上げても良かったはずの制作を10月上旬まで続けていたからです(現在は完成しているはず)。

その点は、かなり期待を寄せていますね。

*1:褒められたものではないというのは、スケジュールを設定した人間に向けた言葉です

*2:カメラの進行方向に「ビュッ!」と出てくるエフェクトなんですけど、何ていう名前なんだろう……。

*3:羽原氏のスタイル以上に、「七色星団前の現場箸休め」的な側面もあったはず