ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「ヤマトファン」って何なんですか!

沖田艦長!

こんばんは。ymtetcです*1

昨日の記事*2には、副監督批判という事象を通じて「ヤマトファン」としての自己認識を考えてみた、という側面があります。もちろん、それだけではありませんが。

さて、今日も、昨日のついでに「ヤマトファン」として根本的なことを考えてみたいと思います。

以下は、私の「ヤマトファン」に関する考えですが、タイトルにした問いは「ヤマトファン」を自称する人皆に考えていただきたい問いでもあります*3

目次

ヤマトファンとは

ヤマトファンって何だと思いますか?

ファンとはfanaticの略。つまり熱狂的な愛好家を指します。

「ヤマトの熱心な愛好家」。なるほど、まさにヤマトファンのことですね。

今日はここから、考えを膨らませてみます。

とある自称ヤマトファンX氏

このX氏、完全なる架空の人物であることは予め書いておきます。

さてX氏、突然ですが「ヤマト2202が嫌い」です。

なんと、ヤマトを批判しています。

彼は、ヤマトファンではないのでしょうか。

違いますよね。

ではこれから、彼の心をどんどん遡っていきましょう。

X氏は「ヤマト2199が嫌い」です。

なんと、2202はおろか2199も嫌いとは!

彼は、ヤマトファンではないのでしょうか。

違いますよね。

X氏は「ヤマト復活篇が嫌い」です。

なんと、以下略。

X氏は「YAMATO2520が嫌い」です。

「ヤマト完結編が嫌い」。

「ヤマトⅢが嫌い」。

「ヤマトよ永遠にが嫌い」。

「新たなる旅立ちが嫌い」。

「ヤマト2が嫌い」。

なんと、彼は旧作のヤマト2まで嫌いだと思っています。

彼は、ヤマトファンではないのでしょうか。

あと一歩、遡りましょう。

X氏は「さらばが大好き」です。

「ヤマトはさらばで終わっていたらよかったのになぁ」が口癖。

そう、彼はさらばが好き。

だから、ヤマトファンだと言えます。

仮に、『宇宙戦艦ヤマト』シリーズを構成する作品の大半を「嫌い」だと思っていても、彼はヤマトファンなのです。

ヤマトファンとは何か

ヤマトファン、といっても、何か明確に他者と区切られた集団が存在するわけではありません。

ヤマトファンとは、言うなれば想像上の枠組みや概念であって、現実に存在する集団ではないのです。ヤマトファンという集団が現実にあって、その枠の中に人々がいるわけではない。どの「ファン」もそうかもしれませんが。

ヤマトファンとは、「ヤマトの愛好家」を意味する言葉。現実において一致団結できるような集団ではなく、単なる個人の属性。だから「2202が好き」なヤマトファンもいれば、「2199が嫌い」なヤマトファンもいる。

よって、「2202が好き」「2199が好き」「2202が嫌い」「2199が嫌い」など、個々の作品レベルにおいて主義思想が共通している人同士ならば、この現実の世界に集団を形成することができます。しかし「ヤマトが好き」というあまりにも大きな枠組みの中で現実に統一解を持った集団を形成することは不可能だと思います。

「真のヤマトファン」というのはあり得ない

以下は「ネタにマジレス」です。「真のヤマトファン」とは、副監督のツイッター上における言動を利用した、一種のネタ文化です。

「副監督にブロックされた!」←「おめでとう!これであなたも真のヤマトファン!」

こんな会話をしばしば目にします。これはこれで別にいいのですが、この「真のヤマトファン」という言葉が独り歩きするのは良くないことだと考えています。

というのも、「副監督にブロックされた」≒「2202に批判的な態度を取った*4」≒「2202が嫌い」⇒「真のヤマトファン」という構造は、ヤマトファンという枠組みの多様性を否定するものだからです。

もちろん、この文化はただのネタ。しかし、これを単なるネタとして扱わない人が出てくる可能性も否定できません。ですから、予めクギを刺しておきたいと思います。

もし仮に「副監督にブロックされた人」=「真のヤマトファン」と本気で考えているならば、それは「2202が嫌い」という自らの思想が「ヤマトファンという集団に必要な条件」であるという自惚れであり、行きつくところは単なる排外思想でしかありません。もしもこうなってしまえば、「2202が好き」≒「真のヤマトファン」だと言わんばかりの振舞いをしている副監督と大差がないですよね。

現状、本気でそう思っている人はほとんどいないでしょうが、今後はどうなるか分からないので、ひとまず書いてみました。

ヤマトファンに必要なものは何か?

色々と考えてきましたが、今日のまとめとして、これを考えてみたいと思います。

ヤマトファンに必要なものは、「自分のヤマト観」だと総括できます。

これを持つことによって、いくらシリーズの大半の作品を批判しようとも、ヤマトファンであり続けることができます。

逆に、これなくしてヤマトを批判すれば、それはただの「ヤマトのアンチ」です。

では、「自分のヤマト観」とは一体何なのでしょうか。

言うならばそれは、「〇〇があってこそヤマト」「〇〇がなければヤマトじゃない」といった、ヤマトを名乗る作品に対するこだわりです。

あるいはもっとシンプルに考えることもできます。

X氏の例えを思い出してみてください。

「ヤマト」で最も好きな作品。最も好きなシーン、最も好きなキャラ、最も好きな……etc。

これも立派な、一つのこだわりです。この「自分のヤマト観」を持っている限り、どんなにヤマト作品を批判しようと、ヤマトファンでいられると私は考えます。

*1:たくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。私個人の考えでは浅薄なところも多々ありますので、皆様のコメントあってようやく一人前。今後ともよろしくお願いします。返信は現在執筆中ですが、数えてみたところ11月20日分から返信が滞っているようです。申し訳ありません。当日に一度、目を通すようにはしております。

*2:副監督叩きはヤマトファンのすることなのか? - ymtetcのブログ

*3:以下、「ヤマトファン」の「」を外します

*4:彼のブロック基準は日々変化するので、必ずしもそうではないが