ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト3199】「総監督 福井晴敏」の納得感

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト3199』の最新情報が公開されました。

今日は「総監督 福井晴敏」について取り上げます。私自身、この情報に触れた時には衝撃を受けました。

「総監督」の肩書の意図は福井さん自身が語ってくれることと思いますので、それを待ってもいいでしょう。ただ、私はこの肩書に違和感は持ちませんでした。

ではなぜ、私は「総監督 福井晴敏」の肩書に違和感を持たなかったのでしょうか。

シリーズ構成(=シナリオ監督)に留まらない福井さんの仕事

それは、『2205』以降の『ヤマト』における福井さんの仕事が、既に「シリーズ構成(=シナリオ監督)」の枠に留まっていなかったからです。

「総監督」不在であった『2202』

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福井ヤマト第1作となった『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』では、監督であった羽原信義さんが大の『さらば』ファンとして作品に携わり、副監督であった小林誠さんの権限も小さくありませんでした。

そのため、『2202』は福井さんが「『絵コンテまでは手取り足取り』携わった作品」ではあったものの、その内容は福井さん・岡さんのシナリオチームだけから出てきたものではなく、後日公開された「シナリオ」と本編のギャップも大きくなっていました。

その意味で、『2202』は「総監督」不在の作品であったと考えます。

福井さんの権限が大きくなった『2205』

第2作となった『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』では、羽原さん・小林さんに代わって、非ヤマト世代である安田賢司さんが監督となりました。安田さんは新世代の演出家として作品に新たな風を吹き込みました。

一方で『2205』は、『2202』と違ってシナリオと本編の相違がほとんどない作品でした。その意味で、『2202』の羽原さんと比べ、安田さんは、作品の内容を大きく変更したわけではなく、「演出家」としての役割が大きい監督だったと言えます。

こうして、「手取り足取り」作品に携わる福井さんの役割は、相対的に大きくなっていきました。

ファンの前に立つ「責任者」は誰か

すべての作品には、作り手を代表してファンの前に立ち、ファンの賛否両論の責任を問われる「責任者」というべき人がいます。それは時にプロデューサーであったり、監督であったり、脚本家、あるいは原作者であったりします。

『2199』では、「総監督」の出渕裕さんでした。『2202』では羽原さんと福井さんでした。では、『2205』ではどうでしょうか。

実は『2205』時点で、その役割は福井さんだけが担う形になっていました。

つまり『2205』時点で、福井さんは、既に(出渕総監督と同じ)「一人で作品を背負ってファンの前に立つ」役割を担っていたと言えます。

「責任者」としての総監督

『2205』監督であった安田さんの功績は非常に大きいものがありました。『3199』監督のヤマトさんの役割も、大きなものでしょう。

とはいえ、『2199』の出渕さんや『2202』の羽原さんに比べると、「演出面のトップ」としての色が濃いのが安田さんであったと思います。ヤマトさんにも同じような役割が与えられているとすれば、ヤマトさんが『2202』における羽原さんと同じ「責任」を負っているとは言えません。

しかし、「監督」を差し置いて「シリーズ構成」が矢面に立つ構図は、作品から距離を置いた人からみれば、少し不思議かもしれません。

さらに、福井さんの役割も、『2205』以降は完結編リメイクまでを見据えた全体像を構想するまでに拡大しており、単なる「『3199』のシリーズ構成」には留まりません。

それゆえ、私は「総監督 福井晴敏」には納得感をおぼえました

もちろん、福井さんがメカニックデザインをするわけでも絵コンテを描くわけでもないと思いますが、まさに「手取り足取り」、各スタッフの働きをチェックしながら、最後まで責任をもって作品を仕上げていくのでしょう。

思えば、『2199』は出渕さんが「総監督」だったからこそ、作品の賛否は誰でも簡単に論じることができました。しかし『2202』は、「総監督」がいなかったからこそ、焦点を当てるべきは羽原さんなのか、福井さんなのか、小林さんなのか、掴みにくくなっていました。

『3199』では、福井さんが「総監督」となったことで、再び、『2199』のような、誰でも簡単に作品の賛否を論じることのできる作品となるかもしれませんね。