ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2205】福井さんの『ヤマト』原体験が複雑でした

こんばんは。ymtetcです。

『2202』及び『2205』シリーズ構成の福井晴敏さんは、旧作『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの後期作品を「年次行事のように襲い来る強大な敵と連戦する」「当時最高の作画技術で描かれた美麗なショーでしかない」とバッサリ切り捨てます*1。このような批判は福井さんに限らず、長年にわたって行われてきたものです。

リメイクシリーズ始動以前の『宇宙戦艦ヤマト』界隈では、”ヤマトシリーズのどの作品までを「認める」か?”という議論がしばしば交わされていました。そんな中で、福井さんが企画書に書いたような後期作品批判は、主に”『さらば』までしかヤマトシリーズだと認めない”人々から発されていたものです。

それでは、福井さんもまた”『さらば』までしか認めない”人なのでしょうか。

いえ、そうではなく……というのが、本日のお話です。

〇福井さんは『新たなる旅立ち』世代

福井 俺は「新たなる旅立ち」から見はじめた世代ですから、自由自在な作風が「ヤマト」だと思っていたんです。

(「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』シリーズ構成・脚本 福井晴敏 インタビュー」『月刊ニュータイプ』第33巻第3号、2017年2月、112頁)

福井さんは自身のことを「『新たなる旅立ち』から見はじめた世代」と述べています。

実は、福井さんは『新たなる旅立ち』世代なのです。

これを聞いて意外に思われる方もいるかもしれません。

というのも福井さんは『2202』公開時の各所のインタビューで、自身の『ヤマト』原体験について、「『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開年にテレビで放映された第1作の劇場版が最初」と語っているからです*2

矛盾というほどではありませんが、これを読むと、福井さんが認識する自身の『ヤマト』原体験には、どこか揺らぎがあるように見えてしまいますよね。第一作劇場版が原点なのか、『新たなる旅立ち』が原点なのか……。

そこで、今日は少し考えてみたいと思います。

〇福井さんと”初めての『宇宙戦艦ヤマト』”

そもそも、1968年11月生まれの福井さんは『宇宙戦艦ヤマト』直撃世代ではありません。第一作のテレビシリーズが公開された1974年に6歳、『さらば』が公開された1978年に10歳でした。

その時のブームは自分の目からするとわりとお兄ちゃんお姉ちゃんが夢中になっているという感じ。

(前掲「作家・福井晴敏が語る『宇宙戦艦ヤマト』」48頁。)

最初の「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば」は特別な空気をもっていることは、子供心にも感じていました。

(前掲「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』シリーズ構成・脚本 福井晴敏 インタビュー」112頁。)

と、福井さんは語ります。

加えて、こうも述べています。

やっぱり最低でも10歳にはなってないと見るのは難しかったと思いますね。

「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」福井晴敏×羽原信義インタビュー ファンが期待する“ド真ん中”をつくりたい (2017年2月24日) - エキサイトニュース(2/8)

ここから見えてくるのは、10歳時(『さらば』公開年)に観た第一作の劇場版は、単に最初に記憶に残っている『宇宙戦艦ヤマトだということです。この時の福井さんにとって『ヤマト』は「お兄ちゃんお姉ちゃんが夢中になっている」作品であり、自身にとってそれほど重要な、愛着のある作品ではなかったと想像できます。

実際に、福井さんは当時を振り返って、こんなエピソードを紹介しています。

(『さらば』は)たしか僕が小学4年生の夏に上映された作品です。同時期にやっていた『スター・ウォーズ』と、どちらか一本を選べと親に言われ、『スター・ウォーズ』を見に行ってしまいました(笑)。

(「ヤマトがいま再び旅立つ意味」『週刊朝日』2017年2月、108頁。)

その結果、福井さんは『さらば』よりも先に『ヤマト2』(1978年10月~)を観ることになり、『さらば』を初めて観たのは1980年(12歳)、テレビで放送された時だったそうです*3

〇福井さん世代へ下りてきた『宇宙戦艦ヤマト』ブーム

10歳で劇場版を観て、その秋に『ヤマト2』を観た福井さん。しかし当時の『ヤマト』にかける熱量は、『スターウォーズ』に負けるほどに弱い。それはある意味、当時のヤマトブームを「お兄ちゃんお姉ちゃん」のものだと思っていた、そう自然に思わされていた、福井さん世代特有のものだったのかもしれません。

しかし、そんな福井さんの世代にも『宇宙戦艦ヤマト』ブームが下りてきます。

自分たちのところへブームが下りてきたのが、翌年にテレビでやった『新たなる旅立ち』と、その後の『ヤマトよ永遠に』。これが子供の頃の自分にとっての最高潮でした。

(前掲「作家・福井晴敏が語る『宇宙戦艦ヤマト』」48頁。)

それが、『新たなる旅立ち』(1979年)と『ヤマトよ永遠に』(1980年)です。

「ブームが下りてくる」とは、恐らく”同年代で『ヤマト』が流行り始める”という状態を指すのだろうと思います。

この時、福井さんは11歳と12歳。小学校高学年になって、ようやく周囲の人間が『ヤマト』にハマりはじめた、ということでしょう。これは、「俺は『新たなる旅立ち』から見はじめた世代」という前述の発言と一致していますよね。

これらを踏まえると、福井さんの『ヤマト』原体験は以下のように整理できます。

  • 1978年(10歳):『さらば』公開。テレビで劇場版を観て衝撃を受ける。しかし『さらば』と『スターウォーズ』で迷った結果、後者を選ぶ*4。秋、『ヤマト2』を観る。この頃の『宇宙戦艦ヤマト』イメージは「お兄ちゃんお姉ちゃんが夢中になっている」もの。
  • 1979年(11歳):『新たなる旅立ち』放送。「お兄ちゃんお姉ちゃん」のものだった『ヤマト』ブームが福井さんの周囲にも波及。
  • 1980年(12歳):『ヤマトよ永遠に』公開。この年ようやく『さらば』を観、涙する。福井さんの子供時代では、この年が最高潮。

おわりに

以上のことから分かるのは、福井さんにとって『新たなる旅立ち』は、意外にも愛着のある作品かもしれない、ということです。

第一作再放送から『さらば』に至るヤマト・ブームは、福井さんにとっては「お兄ちゃんお姉ちゃん」のものでした。『新たなる旅立ち』は、そのヤマト・ブームの余波が福井さんの世代まで下りてきた作品だったのです。

もちろん、福井さんはそもそも狭義の「ヤマトファン」ではありません。福井さんが大の『イデオン』好きであるということはよく知られています(福井さんにとって1980年が「最高潮」なのは、おそらく同年が『イデオン』放送年のため)。

とはいえ、『ヤマトよ永遠に』(1980年)までは、『宇宙戦艦ヤマト』という存在が"少年・福井晴敏"の「最高潮」の中で、一定の存在感を放っていたと言えるでしょう。

しかしながら、それらの『ヤマト』は大人になった"作家・福井晴敏"から手ひどい批判を受けています。

「最高潮」の一部を形作っていたかつての体験と、大人になってからの批判。

この二面性は、"『2205 新たなる旅立ち』シリーズ構成・福井晴敏"を考えていく上で、重要なヒントになると考えます。

追記

ymtetc.hatenablog.com

こちらの記事のコメント欄にて、ナミガワ様より、『ヤマト』シリーズを分析する上で有力な枠組みの紹介と『ヤマト』に即した詳細な分析をいただきました。これまでの『ヤマト』シリーズ、そしてこれからの『ヤマト』シリーズを見渡していくために重要だと考えます。旧作シリーズ全体を見渡した広い視野から分かりやすく考察されているので、ぜひご一読ください。

私も、驚きと感動を覚えつつ読ませていただきました。『ヤマト』シリーズをめぐる人々の間で、もっともっと一般的になって欲しい議論だと考えます。

(次回の記事は3月23日12時に投稿されます。)

*1:『シナリオ編』219頁、『2202』企画書の一節。

*2:「作家・福井晴敏が語る『宇宙戦艦ヤマト』 旧作が持つSF性と新作への期待。」『昭和40年男』2017年2月号、48頁。

*3:同上。

*4:ちなみに、『さらば』を見に行きたいと言ったのに『キタキツネ物語』を観させられた、という話もあります。真相は福井さんしか知りません。