ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

私と『復活篇』『2199』『2202』、そして未来へ

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事は深夜に1時間30分ぶっ通しで書くという、怠惰な私にしては珍しく熱中した記事でした。さらに、夜が明けて読み返してみると「これって……」と思う箇所もありまして。そのあたりは改めて記事にしてみたいと思います。

今日はクールダウンということで、私自身の『宇宙戦艦ヤマト』熱が再燃した経緯を書いていきます。自分自身のことって意外に分かっていないんですよね。記事に起こしていくことで、考えていけたらと思っています。

私はかつて、『宇宙戦艦ヤマト』に熱中していた人間のひとりでした。ですが、昔から熱心にファン活動をしていたわけではありません。

宇宙戦艦ヤマト』のファン活動は、それこそファンクラブに入るとか、西﨑プロデューサーに手紙を送るとか、同人活動を始めるとか、色々な手段がありました。これはリアルタイムの最盛期から「冬の時代」、そして現在まで、規模とやり方を変動させながら、この40年以上もの間続いてきたものです。

その一方、完結編で『宇宙戦艦ヤマト』を「卒業」した私はシリーズの作品である『2520』でさえ、後年になって偶然観る機会を得た程度。著作権問題に関心を寄せることもなく、『新宇宙戦艦ヤマト』騒動や『大ヤマト零号』についても詳しくありません。ファン活動は、これまでほとんどしてきませんでした。

そんな私が、今は『宇宙戦艦ヤマト』をテーマにブログを書いているわけで、時の流れとは面白いものです。

もちろん、最大の理由はインターネットの普及によって、ファン活動のハードルが下がったためでしょう。ですが、それだけでは『復活篇』から『2199』、『2202』へと至るこの10年間における私の中の「ヤマトブーム」を説明することはできません。

 

そこで、この2009年から2019年までの10年間(11年ですね)を、今日は二段階に分けて振り返ってみます。

 

歯車再始動期(『復活篇』~『2199』)

私にとって、『復活篇』と『復活篇DC』、そして『宇宙戦艦ヤマト2199』は一続きの作品でした。

私の復活篇に対する不満は「私とヤマト復活篇──新作ヤマトの意味 - ymtetcのブログ」にまとめてあります(コメントに返信出来ておらず申し訳ありません……)。

ここでも書いているように、私は久しぶりに接した『宇宙戦艦ヤマト』である『復活篇』に対して、それはそれは憤りを覚えたものです。そして自分が、「ヤマトファン」だったことに気が付いた。それが私の『復活篇』体験でした。

私が『復活篇』に対して不満を覚えた理由は、「『完結編』の続編」ぽさを感じられなかったから。これに尽きます。要は音楽と効果音です。

実写版に沸いた2010年を経ても、旧作の音楽や効果音って凄かったんだなぁ……。と懐古に浸る私。

そこへ突如として『復活篇DC』と『2199』が現れます。

『復活篇DC』は、私にとって衝撃でした。

もちろん、音楽・効果音を”戻した”ことは、今考えれば道義的に如何なものか、と思わないこともありません。西﨑監督不在の中で行われたことですからね。

ただ、そのおかげで、私は『復活篇』を「『完結編』の続編」として認識できるようになった。それも事実です。私の頭の中で『完結編』と『復活篇』が繋がった、とでも言いましょうか。

この時、私の中で、止まっていた『宇宙戦艦ヤマト』の歯車が動き出しました。『完結編』以来、アクエリアスの海中で沈んでいた私の中の『宇宙戦艦ヤマト』が、再び氷を蹴って飛び立ったのです。

飛び立ってしまえば、あとは加速するだけ。効果音・音楽を引き継いだことで、『復活篇DC』と同様に『宇宙戦艦ヤマト』として私に認識された『宇宙戦艦ヤマト2199』のビッグウェーブに、私はすいすいと乗ることができました。

『復活篇』への不満、『復活篇DC』での『ヤマト』復活、DCの流れを受け継いだ『2199』の感動。私の中で止まっていた『宇宙戦艦ヤマト』の歯車はこうして動き出し、その感覚に私は酔いしれていました。

ですが2017年、私は一つの壁に直面します。

『ヤマト』問い直し期(『2202』~)

それが『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』です。

『復活篇』に不満だった私にとって、『2199』は、『復活篇』へのアンチテーゼと「最大公約数」の作品でした。ファンの声を丹念に拾って第一作を作り直そうという、ある意味で優等生的な作品に見えていました。

それに対して、スタッフを変えて登場した『2202』は、いきなり「『さらば宇宙戦艦ヤマト』ってこうだったよな!」と独自の解釈を展開し始めたわけです。

もちろん、『2199』とのギャップに戸惑わないわけもありません。さらに、『2199』に比べるとクオリティも高くない。けれど一方で、「『2199』の続編として『さらば』をリメイクする」という刺激的なやり方にワクワクせざるも得ない面もありました。

そんな驚きと不満と感動が混在した『2202』は、かつての『復活篇』と同じように、私にとっての『さらば宇宙戦艦ヤマト』とは何か、を問うてきました。

これはネット上で時々目にする言説なのですが、あるカテゴリーのことを勉強したいと思ったら、そのコミュニティに参加して(5chのスレッド等)、「これって〇〇だよな!」と、適当なことを断定的に書き込んでみると効率がいいそうです。そこに常駐しているマニアたちが「ちげーよ!」と怒りながら初心者にわかりやすく丁寧に説明してくれるから、というひどい論理なのですが、実はこれと似たようなことが、私と『2202』の間で起きています。

すなわち、今まで『宇宙戦艦ヤマト』に関わる気配もなかった福井晴敏が、2016年になっても『2199』と『方舟』に未だ浸り続ける私の前にいきなりやってきて(実際にやってきてはいませんが)、「『さらば』ってこうだよな! 『ヤマト』ってこうだよな!」と語るわけです。当然、言われたその瞬間はムカッときます。でも、反論するためにはわかりやすく、懇切丁寧に説明できるよう色々と考えないといけません(笑)。

この作業によって、私は自分の中の『宇宙戦艦ヤマト』について、腰を据えて問い直す機会を得たのです。

そうして、自分の心の中のモヤモヤを整理する場所としてブログに辿り着き、気づけば福井さんに屈服させられ、『2202』にどっぷりと漬かる人間になってしまいました。こっちは素人で相手はプロなのだから仕方ないのかもしれませんが、少しだけ悔しいです(笑)。

ただ、こうして見ると「『ヤマト』ってこうだよな!」と語ってくれる、ファンの「俺ヤマト」にズカズカと入り込んでくる存在が必要なんだろう、と私は思います。今思えば、たまたま出渕さんの志向と私の考える『ヤマト』が合致していただけで、『2199』もまた「『ヤマト』ってこうだよな!」と言外に語り掛ける作品だったのだと思います*1

だからこそ不満な人もいるし、その分だけ好きな人もいるのですね。宮川彬良さんの言うような「もがき」のなかで、『宇宙戦艦ヤマト』は『2202』や『2205』といった「最新作」へと形を変えて続いていく。

それもまた刺激的で、面白いことだと私は思います。

 

刺激的な「問い直し」の連続。

これが、私の「ヤマトブーム」再燃の背景です。

だからこそ何より大切なのは、次に「『ヤマト』ってこうだよな!」と語ってくれる新しいクリエイターがいるかどうか。

そこで期待を寄せているのが、吾嬬竜孝さんです。

”これまで『ヤマト』をちゃんと見たことがなかった”と語るクリエイターが『宇宙戦艦ヤマト』をつくる。そんな刺激的なことが他にあるでしょうか。

from:ryuko_azuma ヤマト - Twitter Search

これが実写版やリメイク版の監督なら大問題ですが、完全新作かつ世界観を完全に一新した本作なら問題もなく、むしろいいことだと思います。メカニックデザインは玉盛さんなので、その点は心配も不要です。

コミックではあるものの、これからの『宇宙戦艦ヤマト』として、また新たに『宇宙戦艦ヤマト』とは何かを問い直すものとして、『宇宙戦艦ヤマトNEXT スターブレイザーズΛ』は最も注目すべき作品であると期待しています。

これからの「もがき」に、きっと大きな役割を果たす作品になるのではないでしょうか。

*1:さらに言えば『新宇宙戦艦ヤマト』も、「宇宙戦艦ヤマトって松本零士作品だよな!」と語り掛ける役割を果たした作品であり、『復活篇』は「宇宙戦艦ヤマトって西﨑義展作品だよな!」と語り掛ける役割を果たした作品だったのでしょう。どちらもオリジナルの作り手が発したメッセージなので、リメイク版とは単純比較できませんが。