ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『宇宙戦艦ヤマト』のサービスシーンと『2199』『2202』

こんにちは。ymtetcです。

先日、『2199』の「サービスシーン」が再び論争になっていたようです。

『2199』の「サービスシーン」は、森雪で言えば第12話や第14話の「尻」、あるいは第24話の海水浴がよく槍玉に上がります。他に百合亜などを含めると、もっと増えてきますね。また、特に理由なく「テカテカ」加工が施された『2202』の女性用艦内服も、時々批判の対象となることがあります。

この論争が興味深いのは、構図がどこか「悲壮感」論争に似ているところです。

「『2199』のサービスシーンはけしからん!」←「旧作だってスカートめくりやネグリジェや『2』のサルガッソーがあったでしょ」。

「悲壮感」論争と同じ、「旧作だってそうだもん」の構図ですね*1

確かに、旧作にも「サービスシーン」と呼ぶべきシーンはありました。それは事実だと思います。では、なぜ『2199』の「サービスシーン」は批判の対象となりやすいのか。どこかに、何か旧作との違いがあるのかもしれません。今日はそれを考えてみます。

 「サービスシーン」の再現性

旧作の「サービスシーン」としてよく挙げられるのは、おおよそ以下の4つです。ワープ、スカートめくり、「ネグリジェ」、サルガッソーでの艦内服破れ(『2』)。スカートめくりは「お約束」として、後半の作品でも見られましたね。

一方で、『2199』でよく挙げられるのは「尻」です。森雪で言えば第12話と第14話、古代の近くに座り込む際に「尻」がこちらを向くシーンと、梯子を下りる際に雪を見上げた古代の視点が描かれたシーンが、よく例として挙げられます。ワープで服が透けるシーンは『2199』にもありますが、これは単に旧作を「お約束」として踏襲しただけと解釈されているように思います。また、第24話におけるイスカンダルでの水着回、海水浴のシーンもしばしば批判されていますね。

さて、こう対比してみた時に、旧作と『2199』にはどんな違いがあると言えるでしょうか。

一つ考えたのは、旧作の「サービスシーン」はどれも突発的な出来事である、ということです。ワープはそうですし、スカートめくりも後期作品でお約束となってしまったとはいえ、最初の『宇宙戦艦ヤマト』で言えば、たまたま雪が普段と違う服装をしていたがために発生した事案ネグリジェも雪の部屋着だったわけで、相原が艦外に出ていることに驚いて雪が部屋を飛び出さなければ古代と島が目撃することもありませんでした。ちなみに『復活篇』冒頭の雪のシーンも、突発的な出来事と言えばそうだと思います。

一方で、『2199』はどうでしょうか。「座り込む」「梯子を下りる」。どちらも軍隊であることを考えると日常的にあり得る動作の中で、「サービスシーン」が発生しています。さらに言えば、その動作自体を「サービスシーン」化させているのは、艦内服のデザインそのものです。「尻」を強調するようなデザインの艦内服でなければ「サービスシーン」にはならなかったような動作の中で「サービスシーン」が発生している。要は、『2199』の「サービスシーン」には再現性があるわけです。

ここに、旧作と『2199』の違いがあるのではないかと考えます。

すなわち、『2199』の「サービスシーン」を批判している人々は、(意識しているか否かは別として)『2199』の「サービスシーン」から”このシーン以外でも艦内で繰り返し、こんなことが起きているかもしれない”との印象を抱き、それが嫌悪感に繋がっているのではないでしょうか。そしてこれは、本編で目立った「サービスシーン」が描かれていないにも関わらず一部の反感を買った、『2202』艦内服の「謎のテカテカ」にも同じことが言えそうです。

  • 旧作:突発的な出来事である。そう二度は起こらない。
  • 『2199』『2202』:艦内服のデザインに由来する。本編で描かれている以外にも、同様の事案が発生していることが示唆される。

同じように「サービスシーン」を盛り込んでいるにも関わらず何故か批判されてしまう『2199』。その背景には、こんな違いもあるのかもしれません。

スカートめくりをどう見るか

もう一つ考えたいのが、スカートめくりを筆頭としたアナライザーの行為です。

このアナライザーの行為によって描かれるスカートめくりは、無論「サービスシーン」としての意味合いもあるでしょう。ですがそれ以上に、旧作においては「イタズラ」、すなわちコメディシーンの一つとして処理されているように思います(当然、この行為がコメディとして処理されている時代的な問題はあります)。それは、「尻」を触るといった「イタズラ」が、他のシーンで描かれていることにも通じます(セクハラ行為だが、視覚的には必ずしも「サービスシーン」たり得ない)。

『2199』の「サービスシーン」への批判に対する反論としてよく引き合いに出されるスカートめくりですが、上に挙げたような『2199』の「サービスシーン」はコメディシーンではありませんので、単純に対比はできないものと思います。

ちなみに、コメディシーンとして考えますと、アナライザーのスカートめくり「的なもの」は『2199』にも存在します。佐渡先生が「白か」と言い、原田真琴が「見ないでください!」と応じるあの場面です。「白か」は千葉さんのアドリブだったそうですが、あのシーンは色々な意味で、旧作のスカートめくりに近いシーンです。

また、「イタズラ」「コメディ」で言えば赤道祭のコスプレ。かわいい女の子がメイド服を着るのは現代深夜アニメの「お約束」的な「サービスシーン」ですが、太田が「イタズラ」で偽情報を流し、原田真琴がメイド服を着用してしまうあの構図はとてもコメディチックで、かなりスカートめくりに近い場面だと思います。

「『サービスシーン』的要素を含んだコメディシーン」としての側面が、旧作のスカートめくりにはありました。そしてそれは形を変えて、『2199』にも受け継がれていると考えます。これはこれとして(雪の「尻」などとは分けて考えて)、改めて是非が問われるべきなのではないでしょうか。

水着回をどう見るか

最後にもう一つ。イスカンダルでの海水浴もしばしば批判されます。ただしこれは、「サービスシーン」的な批判ではないように思います。

非日常のシーンですし、再現性もありません。女性クルーも男性クルーも揃って参加して、場を和ませるコミカルな描写が続きます。

よってこのシーンは、「サービスシーン」として批判されているというよりは、「聖地イスカンダルで海水浴なんて軽率でけしからん」として、その行為自体が批判されている側面の方が強いと考えます。

再現性が『2199』の特徴

以上、旧作と『2199』の違いを考えてきました。

やはり、「サービスシーン」の再現性が高いということが『2199』の特徴なのではないかと思います。その再現性を担保しているのが艦内服のデザインだからこそ、批判は『2199』だけでなく『2202』にも及んでいるのではないでしょうか。 

また、スカートめくりは『2199』でよく言われる「サービスシーン」とは議論を分離させるべきと考えます。旧作においても、スカートめくりはアナライザーの主体的な意思が関わっているので、やや他の「サービスシーン」とは趣が異なるのです。「コメディ」と「サービス」の双方の要素が含まれるアナライザーと雪の絡みは、原田真琴のコメディシーンとして『2199』にリメイクされていると考えます。

今回の記事が、皆さまが何かしらの新しい見方や考え方を生み出す参考になればと思います。

それにしても、こんなにもたくさん「スカートめくり」だの「尻」だの「サービスシーン」だのといった言葉を書き込んだのは初めてです(笑)。普段とは違う脳のパーツを使ったような気がしますね。