ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

【ヤマト2199】大切にしたい最終話

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2199』最終話を観て、なぜか前半部だけ号泣しました。

今日はその話をしたいと思います。

『2199』最終話では、ヤマトと地球との交信が回復したことで、艦内が旧作『ヤマト』の雰囲気に近くなっていました。「地球に残してきた家族」という存在が、第10話以来、ようやく強調されるのです。「変えるべき場所」を思い出したヤマトクルーたち。だからこそ、「この旅で得た愛する人」を失いつつある古代の悲壮感が際立ちます。

私が前半部で号泣したのは、古代の心情を思って共感したからです。愛する人や存在が失われるとき、もっともしんどいのは「失われる直前」だと思います。失ってしまったそのあとも当然しんどいのですが、私は「直前」が一番しんどいと思います。

そんななか、古代は気丈に振る舞っています。そのしんどさと、そんな状況に置かれている悲しさ。そのあたりが、私の琴線に触れたのでしょう。

 

さて、佐渡先生が「死んでゆく者もあれば」と語るように、失われつつある雪に対比されるのが、新たな命を迎えようとしている原田真琴と加藤三郎の二人です。

ここも泣けるポイントなのですが、これは『2199』よりも、その後の『2202』『2205』を知っているからこそ響く部分があるように思います。

ただ、『2202』の時に多少議論になった「真琴はキャラ変をしているのか」については、これから連続して『2202』を観ていくので、注目しておきたいです。

 

ところで、真琴は結婚パーティーを渋る加藤に対し、「みんなに幸せを分けてあげる」といい、「この子もきっとそう言っている」と続けています。真琴にとって「幸せ」とは、他人に与えることもできるし、他人から貰うこともできるものなのでしょう。こうした人生観で育ってきた翼にも、影響はあるはず。今後、翼が成長したときに、「みんなに幸せを分けてあげる」人生観が垣間見えると、胸も熱くなりそうです。

 

艦内の雰囲気や心情描写など、総じて「もっと早く見たかった」との想いはありますが、最終話は、第25話でデスラーを倒してようやく得た、『2199』にとっての”一息つける”時間だったのでしょう。こうして考えると、『2199』こそ全39話で観たかったような気もしますね(むろん、それならテレビ放送はできなかったでしょうけど)。