ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『宇宙戦艦ヤマト』における「西暦」の壁

こんにちは。ymtetcです。

宇宙戦艦ヤマト』シリーズには、種々の限界があります。一つに、最近活発に記事にしてきました、『1974ヤマト』の世界観から抜け出せない、といったものがありました。ただそれは、『Λ』によって新しい第一歩が切り開かれつつあります。

ところが、その『Λ』もまた、『宇宙戦艦ヤマト』の抱える限界=壁に、他の『宇宙戦艦ヤマト』作品と同様、ぶつかっていると考えます。

それが、「西暦」の壁です。

①「西暦」の壁

宇宙戦艦ヤマト』はシリーズは、決して「西暦」の枠組みから逃れることはできません。何故なら、「宇宙」の「戦艦」「ヤマト」だからです。

②「西暦」の意味

宇宙戦艦ヤマト』としばしば比較される『ガンダム』は、「西暦」と無縁、までは言えないものの、大部分はその呪縛から解き放たれています*1。それによる自由度の高さが、大胆なシリーズ展開を支えていると言えますね。

ただ、物語の舞台が「西暦」であることにも、大切な意味があります。我々が今生きている舞台は、紛れもない「西暦」です。すなわち、「西暦」を舞台とする物語は、パラレルワールドをとることはしばしばあるにせよ、どこかで、我々が今生きている世界と直接繋がった、地続きの世界を舞台にした物語になります。

ガンダム』シリーズの場合も、「宇宙世紀」は「西暦」との繋がりが明記されていますが、あくまで舞台は「宇宙世紀」です。受け手にとっての「我々の世界と地続きである」との認識は、(『ヤマト』に比べると)希薄と言えるでしょう。

逆に、『宇宙戦艦ヤマト』は「西暦」が舞台であるからこそ、「西暦」の世界観に基づいたリアリティが強く求められたと考えられます。『2199』の描いた「国連宇宙軍」が「国連」であり、艦名フォントや敬礼が「海上自衛隊」を引き継ぐものであったのは、ある意味「西暦」ならではのリアリティだと言えます。

③「西暦」という壁

ですが、「西暦」は『宇宙戦艦ヤマト』の世界観を有形無形の鎖で縛り付けています。これは、西﨑義展さんや松本零士先生の手によって作られた「新しい『ヤマト』」の過去に目を向けると分かりやすいかもしれません。

例えば西﨑さんの『2520』は、紛れもない「新しい『ヤマト』」への挑戦でした。『2520』が舞台を「星歴」としたのは、ある意味で「西暦ではない世界」への意欲を表していたのかもしれません。ですが、内実「星歴」は「西暦」でした。『復活篇』が『2520』と『完結編』の繋がりを打ち出したことが決定打となりました。今現在、我々から見て『2520』は”『復活篇』の300年後”の物語、あるいは”『1974ヤマト』の約320年後”の物語であり、”西暦2020年の500年後の物語”でしかないわけです。

あるいは『新宇宙戦艦ヤマト』はどうでしょうか。これは「松本零士作品」として『宇宙戦艦ヤマト』を再定義する大胆かつ挑戦的な試みでした。しかし、これも結局は「西暦3199年の物語」であり、”『1974ヤマト』の1000年後”の物語でしかありません。

このように、『宇宙戦艦ヤマト』には「西暦」という壁があり、これが『宇宙戦艦ヤマト』の作品世界の広がりに限界を作りだしています。

ここまで書くと、「じゃあ『西暦』はやめなきゃいけないのか」と思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

ですが、この「西暦」の壁は、必ずしも突破しなければならないものではないと、私は考えています。実は、「西暦」の壁は必要なものなのです。

④「西暦」でなければならない理由

宇宙戦艦ヤマト』は「西暦」でなければならない。

その理由を説明するために、逆の方向から考えてみましょう。

宇宙戦艦ヤマト』の舞台が、「西暦」でなくなったら。

”なんで「宇宙戦艦《ヤマト》」なの?”

”なんであの形なの?”

この問いに、説明がつかなくなってしまうのです。

何故なら、「宇宙戦艦ヤマト」という言葉、そして「宇宙戦艦ヤマト」のあの形は、「戦艦大和」という前提がなくては成り立たないからです。

例えば『2199』では、「夕日に眠るヤマト」は”ただの擬装”ということになりました。”戦艦大和の改造設定は無理だけど、あの絵は外せない”。その認識を『2199』の作り手と観客が共有できたからこそ、『2199』の中でもっとも強引な設定と言えるあの設定を、最後まで押し通すことができた。

では、なぜ”あの絵は外せない”のでしょうか。それは、『1974ヤマト』の象徴的な絵だから、ということになります。

では、『1974ヤマト』は何故あの絵になったのか。それは、『1974ヤマト』の「宇宙戦艦ヤマト」が「戦艦大和を宇宙戦艦に改造したもの」だからですね。

すなわち、こういうことです。

西暦1974年に公開された『宇宙戦艦ヤマト』に登場する西暦2199年の「宇宙戦艦ヤマト」は、西暦1945年に沈没した「戦艦大和」を改造した宇宙戦艦である。西暦2012年に公開された『宇宙戦艦ヤマト2199』に登場する西暦2199年の「宇宙戦艦ヤマト」は、西暦1974年に公開された『宇宙戦艦ヤマト』に登場する西暦2199年の「宇宙戦艦ヤマト」の”絵”を踏襲したため、西暦1945年に沈没した「戦艦大和」に形がよく似ている。

「西暦」で、一つの筋が通っているわけです。観客の意識をどこかで「西暦」と切り離してしまえば、「宇宙戦艦ヤマト」がその名で、その形であることに説明がつかなくなってしまうのです。

それは、『Λ』においても同じ。『Λ』の舞台は22世紀の初頭なので、「西暦」が舞台だと考えていいでしょう。ユウは冒頭の回想で戦艦大和とおぼしき模型を手にしていましたし、マーク6のデザインを見て「オレのカスタマイズ艦とそっくり」だと言います。恐らくあの世界は我々の知る「西暦」と繋がっており、戦艦大和が戦った「西暦1941~1945年」とも繋がった世界なのです。だから、どんなに大雑把な理屈だったとしても、ユウ・ヤマトの乗る艦が(戦艦大和によく似た)「あの形」である理由は必ず、どこかに存在するわけです。

戦艦大和の生きた「西暦」との密接な繋がりを持たなければ、「宇宙」の「戦艦」「ヤマト」が「あの形」である事実に、どこかで不具合が生じてきます。

「西暦」を舞台とすることは、『宇宙戦艦ヤマト』新作が今後いかなる「革命」を起こしたとしても外してはいけない、作品のアイデンティティの根幹にかかわる要素なのではないでしょうか。