ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『スターブレイザーズΛ』から学ぶこと

こんにちは。ymtetcです。

前回の記事で書いたように、『スターブレイザーズΛ』は色々なことを教えてくれます。その中でも特に、人間ドラマの基本的なことを教えてくれていると思います。

例えば、これからの『宇宙戦艦ヤマト』も、シンプルに、それぞれの過去を行動原理の根拠にしてはどうでしょうか。

〇キャラクターが生きている実感を作りたい

なぜ、キャラクターの過去を行動原理の拠所とすることが、よいのでしょうか。

それは、読者/観客の前に現れるキャラクターが、今この瞬間に存在しているだけではなく、過去、そして未来においても変わらずに存在していることを、読者/観客に実感させることができるからだと考えます。

私たちは今も、そしてこれからも、意識するとしないとに関わらず、過去の経験に影響を受けて物事を判断してゆきます。それを劇中キャラクターに当てはめることができれば、それはきっと、生きたキャラクターを生み出すことを可能にするはずです。

〇行動原理

例えば、ある『宇宙戦艦ヤマト』のある場面で、あるキャラクターがある行動をとったとします。さらに、そこで下された選択は、そのキャラクターだけが持つ過去の出来事によって選択されたものだったとしましょう。そうすると、読者/観客は、そのキャラクターが選択を迫られたとき、いかなる行動原理に基づいていかなる選択を下すのかを知ることができます。

それはキャラクターの個性として、読者/観客の頭に残ります。なぜなら、「彼/彼女はこんな過去を持っているから、このように考えて、こういう決断を下した」というパターンが、読者/観客に共有されるからです。

そして、読者/観客は、次にそのキャラクターが何らかの選択に迫られた時、彼/彼女がどのような選択を下すのかを予想することができます。それこそが、そのキャラクターの人格・個性と認識されていくわけです。そこまで進めることができれば、彼/彼女は読者/観客にとって、馴染みのあるキャラクターになっていることでしょう。これまでのパターンと同じ行動をとれば「らしさ」を、違う行動をとれば成長などの変化を描き出すことができます。

〇『Λ』の実直な進め方

この作業を、実直に積み上げてきているのが『Λ』です。

例えば、今回の第10話の主人公はミフネ(アレクセイによるプロトタイプ版)でした。今回は「プロトタイプ・ミフネ」と仮称しておきましょう。

ざっと本編を読むと、これまでのトップネスたちの回に比べて、過去の掘り下げはないのではないかと思われるかもしれません。今回は、回想シーンがほとんどないからです。

ですが、今回もまた、プロトタイプ・ミフネの過去が静かに、着実に掘り下げられていました。それは、「博士にコーヒーを淹れる」という形で。

「コーヒーを淹れる」というのは日常的な動作です。その動作に、私たち読者は長期的な二人の関係性を垣間見ることができます。さらに、アレクセイがコーヒーを好んでいることも私たちは知っています。それに加えて、プロトタイプ・ミフネは、アレクセイとたくさんの言葉を交わしたことを明かしてもいます。

第10話に回想シーンがほぼなくても、十分にプロトタイプ・ミフネの過去を認識することができます。だから、仮想空間の中で半永久的に生き続け、ミフネは嘘をつきながらも彼に寄り添い続けるというプロトタイプ・ミフネの選んだ結末を、私たちは理解(人によっては共感)できたのです。

〇これまでの新『ヤマト』の反省点

例えば、『2199』第10話でメルダと交渉の席についた際、古代は持っていた銃を机に置きました。それはガミラスによって殺された(と古代は思っている)兄が持っていた銃です。後に山本が指摘しているように、それは重要な決断だったはず。

古代はなぜそんな決断をしたのでしょうか。その観点から改めて『2199』を観直してみる必要はありますが、今日思い出す記憶の限りでは、その決断と直接と関わるエピソードは(目立つ形では)見当たりません

一方、『2199』の島の行動原理は分かりやすいものでした。島は「船乗りは仲間を見捨てない」という父の教えを守ろうとしていました。だから、エンケラドゥスへ向かうことに賛成したわけです。これはよかったと思います。

ですが、『2202』では現実的な判断を下すため、テレサの「救難信号」へ応じることに慎重な態度を示しています。この島の判断は大人のそれとしてはリアルなのですが、分かりやすくはありません。これは正直、あまりいい展開ではなかったと思います。

例えば、古代と島は賛成、真田を反対としていれば分かりやすかったのではないでしょうか。「生き延びるためには……」と言って波動砲艦隊構想に一定の理解を示したあたり、真田の中には合理を重んずる心が残されています。ですが、真田はイスカンダルへの航海や古代守との再会を通じて、感情の重要性を知りました。だから、最終的には絶対にヤマトに乗るはずです。その逡巡を通して真田の古代守への想いをリフレインすれば、それなりに「尊い」ものにもなり得たかもしれません。

何よりこの流れなら、本編の島よりは分かりやすいのではないかと思います。

〇転がる石にさえ

やや小言のようになりましたが、私たちの人格のかなりの部分が経験によって後天的に形成されているように、劇中のキャラクターも、描かれているといないとに限らずそうなのだと思います。南部が波動砲の威力に歓喜したことにも、太田が大食漢であることにも、百合亜がラジオをやることにも、背後にはそれぞれのドラマがあったはずです。

もちろん、それを全部劇中で描く必要もありませんし、何となれば設定する必要もありません。ですが、古代や島、雪、真田あたりの中心人物ならどうでしょう。

『Λ』が丁寧にやっているように、中心人物たちにはそれなりのバックボーンの設定と描写が必要なのではないでしょうか。それがあったなら、『2199』や『2202』のキャラクター、特に古代進は、もっと魅力的な存在になっていただろうと考えています。