ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

『マクロスΔ』に学ぶ「ヤマトらしさ」

こんにちは。ymtetcです。

『ヤマト2205』監督の安田賢司さんが携わるアニメ『マクロスΔ』(総監督:河森正治、監督:安田賢司)の視聴を始めました。

どうやら同作は「第一話が頂点」と言われているらしく、それは全く褒め言葉ではないのですが、第一話に限っては褒め言葉として機能するでしょう。

事実、第一話(絵コンテ:河森正治、安田賢司)を観た時は驚きました。

世界観の提示、キャラクターの提示、緩急の効いた戦闘シーンと「マクロスらしさ」を否応なしに体感させられる歌、歌、歌。実は私は『Δ』がシリーズ初見にあたるのですが、十分に『マクロス』の世界観を第一話で体験することができました。

『Δ』第一話は公式で無料公開されているため、リンクを貼っておきます。

youtu.be

さて、私が『マクロス』シリーズに触れて最も驚いたのは、マクロスらしさ」が既に言語化されていることです。

それぞれの作品に共通し、物語においてとても重要な部分を占めているのは、「バルキリーと呼ばれる可変戦闘機の高速メカアクション」、「歌」、「三角関係の恋愛ドラマ」である。

マクロスシリーズ - Wikipedia

ここでは、「可変戦闘機」「歌」「三角関係」の三つが同作の特徴であると論じられています。この部分は著者の主観がかなり入っているようですが、

歌と戦闘機、三角関係をテーマとしたロボットアニメ『マクロス』シリーズの最新作となる『マクロスΔ(デルタ)』。

河森総監督らが語る『マクロスΔ』での挑戦とは? | アニメイトタイムズ

とあるように、ある程度ファンの共通理解になっているものと思われます*1。実際、『Δ』の第一話でも可変戦闘機と歌は申し分なく描かれていますし、第二話以降に流れるオープニング映像(絵コンテ:安田賢司)では三角関係を予期させるカットも存在しています。『Δ』においても、これら「マクロスらしさ」は踏襲されていると考えられます。

マクロスファンがこの「らしさ」をどう捉えているかは分かりません。ですが、私にはとても羨ましく思えます。「らしさ」は作り手を縛るものではありますが、逆に”これさえ守ればOK”だと考えれば、作り手を楽にするものでもあります。『宇宙戦艦ヤマト』にも、こういったものがあればいいのですが……。

そこで今日は、『宇宙戦艦ヤマト』に必要な条件を、前述の「マクロスらしさ」になぞらえて

  • 洋上艦をモチーフとした宇宙戦艦のメカ・アクション
  • ライトモチーフで構成される音楽
  • 疑似家族(あるいは師弟関係)

の三つでまとめる試みをしてみたいと思います。

〇洋上艦をモチーフとした宇宙戦艦のメカ・アクション

<攻撃を受けて沈む宇宙戦艦の姿を見た時、私たちは「ヤマトらしさ」を感じる。>

宇宙戦艦ヤマト』世界の宇宙には、上下が存在します。また、ともすれば重力が生じている(ように見える)ことさえあります。

これは戦艦大和をモチーフとした宇宙戦艦が登場する世界においては、容易には外せないルールです。もしかしたら、『宇宙戦艦ヤマト』の宇宙が実際の海をモチーフにしているのは、元ネタである戦艦大和への一種のリスペクトなのかもしれません。

さて、上下や重力(じみたもの)の存在する宇宙観を肯定するためには、『宇宙戦艦ヤマト』には「宇宙戦艦ヤマト」が必要だということがここから分かります。

どういうことか。

つまり、「宇宙戦艦ヤマト」というメカニックの存在は、作品の主役メカと実在の軍艦である戦艦大和との繋がりを誇示することで、『宇宙戦艦ヤマト』の宇宙観を正当化する役割を果たすのです。裏を返せば、宇宙戦艦ヤマト』には「宇宙戦艦ヤマト」の存在(を少なくとも認めること)が絶対に必要だと私は考えます。

それだけに、これまでの『宇宙戦艦ヤマト』作品は主役メカの交代に苦戦してきました。「宇宙戦艦ヤマト」の登場しない『宇宙戦艦ヤマト』は存在し難いからです。

それを試みたのがかつての『2520』であり、現在の『Λ』です。

『2520』は、(私の記憶が正しければ)「地球軍で最大(最強?)の戦艦を《YAMATO》と命名する」などといった劇中ルールを設定することによって「宇宙戦艦ヤマトの代替わり」を定義し、第17代と第18代の宇宙戦艦ヤマトを劇中に登場させることに成功していました。『Λ』は、主人公の名を「ヤマト」とすることにより、新たな宇宙戦艦ヤマト像を提起しようとしています。

洋上艦をモチーフとした宇宙戦艦を主役メカとすることにより、「宇宙は海」の宇宙観に基づいた物語を作る。これは『宇宙戦艦ヤマト』の「らしさ」なのではないでしょうか。

〇ライトモチーフで構成される音楽

<主題歌の旋律と共に起ち上がる宇宙戦艦の姿を見た時、私たちは「ヤマトらしさ」を感じる。>

宇宙戦艦ヤマト』シリーズ作品の音楽には、「〇〇のテーマ」が非常に多いです。そして劇中では、その時々の状況に合わせて「〇〇のテーマ」のモチーフがアレンジされ、劇伴となっていきます。これは、宮川泰さんの単独体制で作られた多くの『宇宙戦艦ヤマト』作品だけでなく、羽田健太郎さんも携わった『完結編』、マシューズさんの携わった『2520』でも踏襲されているやり方です。

『2199』第18話、「元祖ヤマトのテーマ」と共に浮上するヤマト。『2202』第1話、「夕日に眠るヤマト」と共に浮かび上がるヤマト。いずれもオープニングテーマ「宇宙戦艦ヤマト」の変奏曲と共に、主役メカが起ち上がる場面です。

これらの場面を観た時、ファンは『宇宙戦艦ヤマト』を観ていることを改めて強く実感するはずです。これこそ、「ヤマトらしさ」なのではないでしょうか。

〇疑似家族(あるいは師弟関係)

<家族にも似た信頼関係で結ばれる人々の姿を見た時、私たちは「ヤマトらしさ」を感じる。>

宇宙戦艦ヤマト』には、家族ではない、しかし家族にも似た信頼関係を築いていく人々が描かれます。

古代進は、沖田を父のように慕います。藤堂は、ヤマトの乗組員を「沖田の子どもたち」と呼びます。真田は、古代を弟のように思っています。斉藤は、古代を兄貴みたいに思っています。山本玲は、古代に、キーマンに兄の面影を重ねます。

実は、宇宙戦艦ヤマト』の物語の中心には、「家族」がほとんど登場しません。第一作ではまだいくつか描かれましたが、第二作以降はさらにこの傾向が加速していきます。『復活篇』や『2202』で「親子」の要素がドラマに入ってきたのは、実は『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの中では珍しいケースなのでした。

宇宙戦艦ヤマト』では、血縁的なドラマはほとんど重視されません。旧作シリーズに登場する加藤四郎(加藤三郎の弟)も、大した掘り下げはなく、ただ加藤三郎の代役をするだけ。スターシャ・古代守・サーシャという血縁ドラマの恰好の題材は、抽象的な話のみに留まり、順番に全員が退場させられていきました。そして古代進と森雪は、なかなか結婚しません。これは『宇宙戦艦ヤマト』が、血縁による人間関係ではなく、あくまで他人同士の信頼関係を重視していたことの無意識的な反映だと考えます。

『2202』第5話では、沖田十三の弟子の一人である山南修と、弟弟子にあたる古代進の直接対決が描かれました*2。このように、師弟関係はしばしば家族になぞらえられます。『Ⅲ』で土門が古代の熱血指導を受けた時、『2202』で山南や古代が沖田の名を口にする時、そこにあるのは「ヤマトらしさ」なのではないでしょうか。

〇「ヤマトらしさ」

今日は、前述の「マクロスらしさ」になぞらえて、メカ・音楽・人間関係の三点から「ヤマトらしさ」を考えてみました。ですから、「ヤマトらしさ」として想定されるのは、今日取り上げた三つだけではありません

とはいえ、先も述べたように、「らしさ」は作り手の縛りにもなります。少なければ少ない方がいいのです。その意味で、どんなものを「らしさ」として挙げるにせよ、三つ程度に絞る意識は大切なのではないかと思います。

*1:河森総監督にインタビューをした記事「マクロスシリーズ最新作『マクロスΔ』河森正治スタッフインタビュー | V-STORAGE (ビー・ストレージ) 【公式】」でも、当然のように可変戦闘機と三角関係について触れられています。

*2:二人は互いに「ぶつける覚悟で進む」沖田戦法をとって戦いました。2202の描く「沖田の子供たち」が尊かった理由 - ymtetcのブログ