ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「シン・好敵手」な『宇宙戦艦ヤマト』があってもいい

こんにちは。ymtetcです。

一昨日、こんなツイートをしました。

今日はこれについて、考えていきます。

冒頭のツイートで私が述べたのは、「相手も相互理解の大切さを知りながら戦ってくる『ヤマト』」を作ってはどうか、でした。これは全く目新しいものではありませんが、少なくとも『宇宙戦艦ヤマト』の分野では行われてこなかったアプローチです。

ymtetc.hatenablog.com

例えば『2202』は、地球側、ガトランティス側に「アンチ相互理解」を登場させるやり方で、相互理解の大切さを訴えた『2199』を踏まえた物語を展開しようとしました。これは(後発の『2202』ほど意識的でなかったにせよ)『さらば』でも同じアプローチがとられました。

旧作、リメイクともに第一作で相互理解の大切さを訴えているのであれば、『2202』が行ったように、徹底的にそこをめぐってシリーズを展開しても面白いかもしれません。すなわち、「相互理解をテーマにする」ことを新しい「ヤマトらしさ」にしていくのです。

そこで、シリーズにとっては異色のアプローチとして提案したのが、冒頭のツイートでした。

主人公・古代進は相互理解の大切さを知っている。それを誰よりも重んじ、信じてもいる。そして、新たにヤマトと戦うことになる敵のトップもまた、古代進とよく似ていて、相互理解の大切さを知り、重んじ、信じている。それでも、戦わなければならない……。

こういった『宇宙戦艦ヤマト』があってもいいのかな、と思います。

さて、ここまで考えると、相互理解を重んじる敵方のトップと、主人公・古代進は強く共感しあえる者同士であることが分かります。つまりこれは、新たな「好敵手」の誕生を意味します。

ところが、『2202』でキーマンをめぐって批判があったように、新しく「好敵手」を設定することは旧来のファンから批判されるリスクを背負うことでもあります。

そこで、旧来の「好敵手」を作り変えていく方法もあると私は考えます。

すなわち、『2205』以後のデスラーを「相互理解を重んじるキャラクター」へと成長させ、古代との友情を育ませ、その後、再度デスラーと古代を戦わせるのです。

こうすることで、互いに相互理解を重んじる者同士が戦う新しい『ヤマト』像を提示しつつ、同時に、新しい「好敵手」の物語を展開することもできます。

旧作の古代とデスラーは、『さらば』と『2』以外の作品では基本的に友情のみを育んでいます。それは自然な流れではありますが、友情を育んだ先にある対立と和解を描く作品があってもいいと、私は思います。そうすることで、『2202』では十分に「好敵手」となることができなかった古代とデスラーの関係を、新たな「好敵手」として、旧作のイメージにまで戻すことも可能なのではないでしょうか。