ymtetcのブログ

偶数日に『宇宙戦艦ヤマト』を考えるブログです。

「地球の危機」と「ヤマトの敵」:『宇宙戦艦ヤマト』の枠組み

こんにちは。ymtetcです。

どうやら映画『ヤマトという時代』は延期なく公開されるようですね。『2199』『2202』をどうドキュメンタリー風に料理するかが注目される映画です。『2205』の予告もありそうなので、期待大ですね。

さて、今日は『宇宙戦艦ヤマト』という作品そのものについて考えていきます。「ヤマトらしさ」とは言われますが、実際のところ『ヤマト』はとてもシンプルだ、との話です。

宇宙戦艦ヤマト』を単純化して考えた時に、これまでの大半の作品に共通する要素があります。それが

  • 地球の危機
  • ヤマトの敵

の存在です。「地球の危機」を描いていない例としては、地球に危機が訪れていない『新たなる旅立ち』の例があります。ただし『新たなる』の場合は、代わりにイスカンダルに危機が訪れる形をとっています。

そして「ヤマトの敵」は、これまでの全ての作品に共通する要素だと言ってもいいでしょう。何といっても『宇宙艦ヤマト』なのですから、やはり「戦」の要素が入ってくることは避けられません。

「地球の危機」「ヤマトの敵」の二つは、全く新しい『ヤマト』を志向する『スターブレイザーズΛ』においても盛り込まれている点が注目されます。

ところで、『ヤマト』作品は必ずしも、この二つの要素を全くのイコールとはしていません。そこに、『宇宙戦艦ヤマト』を面白くするためのポイントがあると私は思います。

例えば、第一作『ヤマト』は、

となっており、実は微妙にずらしてあります。地球の放射能汚染はガミラスの攻撃によるものですが、仮にガミラス星を粉々にしても地球は救われません。こうして地球の危機とヤマトの敵をずらすことで、「殲滅=勝利」としないように工夫がなされているものと思います。他にも、

  • 地球の危機:太陽の暴走
  • ヤマトの敵:ボラー連邦

とした『ヤマトⅢ』や、

とした『完結編』の例があり、いずれも敵の殲滅とは別に、ヤマトが成し遂げなければならないミッションが設定されています。

この二つの要素が一致している作品としては、「白色彗星帝国の侵攻」を描いた『さらば』『2』『2202』*1、「暗黒星団帝国の侵攻」を描いた『永遠に』、「SUS製ブラックホールの侵攻」を描いた『復活篇』の三つが挙げられますね。

「地球の危機」と「ヤマトの敵」を異なる存在にする作品が(長編になりやすく)テレビ向きである一方、「地球の危機」と「ヤマトの敵」を一致させると、やや単純な戦争を描いたアニメーション作品になってしまいやすい傾向にあると思います。

今後も「地球の危機」と「ヤマトの敵」を描く『宇宙戦艦ヤマト』を作り続けるのであれば、二つを一致させるのか、しないのかによって作品のスケールが変わることを意識しておくといいかもしれません。

なお『Λ』の場合、現在は「地球の危機」と「ヤマトの敵」が共にセイレーネスで一致しているようにも見えます。しかし、『Λ』には長編作品としてのひと工夫が加えられています。それがニルヴァーナの存在です。読者からすれば、不気味なニルヴァーナはどこか「ヤマトの敵」のようにも見えます。こうすることで、物語の展開に幅を持たせている点が、『Λ』のひと工夫なのではないかと思います。

最後に、本当の意味で全く新しい『宇宙戦艦ヤマト』を作る方法について考えましょう。答えは簡単です。「地球の危機」と「ヤマトの敵」という枠組みそのものを疑ってしまえばよいのです。

例えば、「地球の危機」だけを描いて「ヤマトの敵」が描かれない『ヤマト』があるとすれば、どうでしょうか。ヤマトに敵はいないのに地球が危機に陥っている……とすれば、地球は完全なる自然現象で危機に陥っていて、ヤマトはその危機から地球を救うために活動する、そんな物語が想定されます。『ヤマトⅢ』や『復活篇』から政治や戦争の要素を抜き取った感じでしょうか。冒険モノとしての『ヤマト』をただ楽しんでもらいたい! という作品ならば悪くないアプローチです。

逆に、「地球の危機」を描かずに「ヤマトの敵」を描いたらどうでしょう。この場合は難しいですが、例えば地球の側に「ヤマトの敵」がいる、そんな物語が想定されます。『さらば』『2』『2202』の序盤だけを抜き取った感じでしょうか。

『ヤマト』の面白さは、「ヤマトが敵に立ち向かい、地球を危機から救う」過程で、どのような工夫を盛り込むかによって決まると思います。もちろん、それを「ヤマトらしさ」を考えて工夫を盛り込むのも素晴らしいのですが、時々、この枠組みそのものを疑う『ヤマト』があってもいいのではないでしょうか。

*1:ただしいずれの作品も、序盤は地球防衛軍が「ヤマトの敵」となります。