こんにちは。ymtetcです。
いつもあたたかいコメント・反応をありがとうございます。
すごく忙しいわけではないのですが、日曜日に休んでいたら仕事が終わらない、そんなこともあります。
さて、今日は即席ですが、私が気になっていたことを考えてみたいと思います。
時々、『2202』の古代進像に対して「うじうじ」という表現が使われています。
勇気がなかったり、具合の悪いことがあったりして、することをためらうさま。ぐずぐず。もじもじ。
色々と悩むことが多くてはっきりしない様子を指して、「うじうじ」と表現しているのでしょう。
ところが、福井さん自身は古代を勇気のない人間だと考えているフシはありません。ではなぜ、時に受け手に「うじうじ」と思われてしまうのか。結局それは、福井さんが古代に対して、人一倍の苦しみを用意している点に要因があります。
とすれば、次に考えるべきは
- なぜ、福井さんは古代を苦しめるのか?
でしょう。
恐らく色々なアプローチから考えることができるでしょうが、私は、この問いに対する答えはとてもシンプルだと思います。
そういう意味で言うと、古代進って、昔の、僕たちが知っている古き良き価値観を持っている人なんですよ。それが、今の21世紀の日本においてどれだけ浮いた存在なのかというのを、2202年の世界で演じているわけです。でも、我々くらいの世代の心の中には、みんなどこかに彼がいるんですよ。その彼が非常に苦しんでいる。
シンプルですね。要は、「今の時代は古代進のような人間が苦しむ時代であると、福井晴敏が考えているから」です。だから古代は、ひたすらに福井さんから苦しめられ続けるのです。
なお、興味深い点としては、福井さんが旧作の古代とリメイク版の古代について、概ね同じキャラクターであると考えている点が挙げられます。確かに、ガミラス帝国を滅ぼした経験がないとはいえ、旧作の古代もリメイク版の古代も同じ、相互理解という理想を抱く人間としてガトランティス戦役を迎えたと考えれば、福井さんの考えも分かりますね。
ああ、『2202』は『さらば』のリメイクだったのかとようやく腑に落ちました。第25話ではなく最終話こそが、『さらば』のリメイクとして作られているのですね。もう少し整理して、今度ブログの方に書きます。
— ymtetc (@ymtetc) 2021年6月26日
早くこの記事が書きたいです。ただ、今回引用したアキバ総研さんのインタビュー記事を読むと、何となく私の言いたいことは分かるのではないかと思います。